曹真(そうしん)

曹真は、曹操が挙兵した際に、

曹操の一族であった曹邵(そうしょう)はこれに参加しています。

 

しかし、董卓と敵対していた曹操は、

董卓側で豫洲刺史であった黄琬(こうえん)に曹邵が殺害されてしまいます。

 

この時、幼くして父である孫邵を失った曹休を見て、

曹操自身が曹休を引き取り、自分の子であった曹丕らと一緒に育てています。

 

そういや曹休も似たような感じで、曹操に育てられていましたね。

曹操に「我が家の千里の駒」と高く評価された曹休

 

ある時、曹真が狩猟をしていた際に、

曹休に襲い掛かってきた虎を一撃で矢を射止めるということがあったそうです。

 

それを見た曹操は、曹真の勇猛さを褒め、

曹休と共に、曹操の精鋭騎兵部隊である虎豹騎(こひょうき)の隊長にしたそうです。

 

曹操指揮下にあった虎豹騎を、

曹真・曹休が指示していたという感じでしょう。

漢中争奪戦

 

曹操が漢中の張魯を降し、そこへ劉備が侵攻してきた際は、

曹真・曹休らとともに虎豹騎を従えて、張飛・馬超らを破っています。

 

この功績により曹真は中堅将軍に任命され、

曹休とともに中領軍に任じられます。

 

中領郡とは、禁軍を統率したり、

五校尉・中塁・武衛の三営を統括する事を職務とした官位の事です。

 

 

定軍山の戦いで夏侯淵が戦死すると、

征蜀護軍に任命され、徐晃らを指揮して劉備軍の高翔(こうしょう)を打ち破っています。

 

そして劉備軍が更に進軍してくるのに備えるべく、

曹真は、張郃と共に陳倉を任されます。

 

また涼州方面での反乱が相次いだ際は、

曹真自ら出向き、こららの鎮圧に力を発揮しています。

曹丕の死

226年に曹丕がこの世を去ると、

曹休・鍾繇・司馬懿らとともに、曹叡の後を任されています。

曹操に溺愛された曹叡の才能

 

この時曹真は大将軍に任命される事となり、

対蜀として魏の守備を任されます。

諸葛亮の侵攻を防ぎきる

諸葛亮が北伐を開始すると、

天水・安定・南安の三郡が蜀に降りますが、

 

その劣勢の中、郿県を趙雲・鄧芝軍から守り、

これを見事に撃退しています。

 

 

また第二次北伐では、諸葛亮が陳倉に攻めてくるだろうと予測し、

陳倉城の守りを事前に強化しています。

 

そして実際に曹真が予測した通り、

諸葛亮が陳倉城に攻めてくると、城を守る郝昭に援軍を送り、

郝昭もまた獅子奮迅の働きを見せ、これを見事に撃退することに成功します。

晩年の曹真

 

230年に入り、この時期大司馬に任じられています。

 

 

そして曹真は曹真は曹叡からの信頼も厚く、

「剣を腰にさしたまま参上してもいいよ」と特別な許可を貰うほどでした。

 

そしてこれまで蜀の侵攻を防いできた曹真ですが、

ここにきて蜀を滅ぼす必要性を感じ、蜀討伐の軍を起こしています。

 

今回の討伐軍は、曹真は荊州軍を統括していた司馬懿にも参加を要請した大規模なものでしたが、

長雨によってなんの成果もあげられないまま撤退を余儀なくされちゃいます。

 

その後洛陽に戻った曹真でしたが、

病気にかかり、回復しないままこの世を去る事になります。

三国志演義での曹真

三国志演義では敵であった諸葛亮に翻弄され、

味方であった司馬懿にもいつも一歩先を行かれるという間抜けどころの役になっています。

 

そして病気に陥った曹真に対して、

諸葛亮の手紙が届き、それを読んだ曹真は文章の中身に激怒し、

その結果病状が悪化して死んでしまうというもの・・・

 

名将中の名将でもあった曹仁もですが、

三国志演義では諸葛亮に常に翻弄されるという役回りですし、

優秀な曹一門の人達は、損な役回りをさせられてる人達が多い気がしますね。

曹仁なくして曹操なし