杜氏(とし)とは?

 

杜氏(杜夫人)は、

呂布に仕えていた秦宜禄(しんぎろく)の妻でした。

そして秦朗(しんろう)という子供もいました。

 

この時の杜氏は、

徐州で親子三人で幸せに暮らしていました。

 

 

しかしそんな最中、

呂布が治める徐州を奪うべく曹操が攻め込んできます。

 

この危機を乗り越えるべく、呂布は袁術に援軍を要請すべく、

秦宜禄を使者として向かわせます。

 

これにより杜氏は、

夫である秦宜禄と離れ離れになってしまうわけです。

秦宜禄の不幸

秦宜禄は袁術の元へ辿り着き、

呂布の元へ救援を出してくれるようにお願いします。

 

しかし袁術はそんな話はスルーし、

秦宜禄を劉寵(りゅうちょう)の元妻と無理やりに結婚させてしまいます。

 

 

ちなみに劉寵とは後漢の皇族の一人で、

袁術が食糧援助を陳国を治めていた劉寵にお願いした事がありましたが、

普通に断られるということがありました。

 

断られた事に腹を立てた袁術は、

劉寵に刺客を放って殺害してしまいます。

 

秦宜禄は杜氏という妻がある中で

劉寵の未亡人と無理やりに結婚させたわけです。

 

袁術滅茶苦茶すぎます。

関羽に惚れられた杜氏

夫の秦宜禄が袁術の元から帰らず、

夫の安否を徐州で心配していた杜氏ですが、

 

そんな杜氏の気持ちとは裏腹に、

曹操と呂布の戦いは激しくなっていきます。

 

 

この時曹操軍の中に、

呂布に徐州を奪われた劉備・関羽・張飛らもいました。

 

 

そしてその中の関羽が曹操にあるお願いをしました。

「もし呂布を倒せたなら、徐州にいる杜氏と結婚したいのですけどいいですか?」

と一応曹操に客将としての義理を果たして尋ねます。

 

曹操はこの関羽の問いかけに、

「いいよ」と簡単に結婚の許可を与えます。

 

 

杜氏は秦宜禄という夫がいるのに、

その事を無視した関羽もなかなかのもんです。

 

義理人情に厚いという関羽ですけど、普通に欠けてる気もします(笑)

まぁそれだけこの時代の女性の地位は低く、相手に選択の余地はなかったのでしょう。

 

曹操から許可を貰った関羽は、

「呂布倒して、早く杜氏を妻に娶りたいなぁ」

とその事ばかり頭に浮かんだんじゃないでしょうかね。

曹操が杜氏に一目ぼれし、関羽から横取りしてしまう

曹操と呂布の戦いは、曹操の勝利で幕を閉じます。

そして呂布は処刑されてしまいます。

 

この時、関羽は曹操に杜氏を妻に娶る事を再確認します。

曹操は「こいつ二度もしつこいな」と思いつつ、再度許可を出します。

 

 

しかし関羽ほどの男がそれほど娶りたいという女性は、

「めちゃくちゃ美人なんじゃないか!?」と頭をよぎった曹操は、

関羽が杜氏と会う前に、曹操が美人かどうか確認する為に、先回りして杜氏に会いにいきます。

 

そして杜氏を見た曹操は一目で気に入り、

関羽の事などおかまいなしで、速攻で結婚してしまいます。

 

これを知った関羽は、

相当いらっとしたんじゃないでしょうかね!?

 

 

後に劉備・張飛らと離れ離れになり、曹操の元に身を寄せた関羽が、

曹操が赤兎馬や金銀財宝や豪華な家をあげたりして関羽の機嫌をとろうとしたりしますが、

 

どんなことをされても曹操になびかず、

最終的に曹操の元から劉備の元に帰って行ったのは、

 

杜氏の件で自分の中で曹操に対して、

どうしても許せないものが関羽の中にあったのかもしれませんね。

 

まぁ劉備を心から慕っていた関羽なんで、それだけじゃないでしょうけど。

秦宜禄のその後

袁術から帰る事を許された秦宜禄ですが、

徐州へ帰ってみると主君であった呂布は既に曹操に処刑されていました。

また妻であった杜氏は、曹操に奪われているという有様。

 

頭の整理がつかない中で、

どうすることもできなかった秦宜禄は、仕方なく曹操に仕えるという決断をします。

 

 

それから少しして劉備が曹操に反旗を翻します。

 

この時、張飛が秦宜禄の元にやってきて、

「妻を奪った曹操なんかに従わず、俺らと一緒に反旗を翻そうぜ」

と誘ってきます。

 

張飛から一緒に曹操を裏切ろうと誘われた秦宜禄は、

悩んだ末に張飛の誘いに乗る事にします。

 

しかし張飛の誘いに乗ってから、

「やっぱり反旗翻すのは嫌だなぁ」と言う秦宜禄に張飛はぶちぎれて、

秦宜禄を殺してしまいます。

 

 

袁術の元に使者として向かってからの秦宜禄は、

本当に全くいい事のない人生でしたね。

 

わけのわからない知らない女性といきなり結婚させられるわ、

大好きな妻は曹操に奪われてるわ、あべこべに張飛に殺されてしまうわ・・・

曹操に娶られた杜氏のその後

曹操に娶られる事になった杜氏ですが、

曹操と杜氏の間には、3人の子供(男の子2人、女の子1人)が生まれます。

曹林(そうりん)・曹袞(そうこん)・金郷公主(きんきょうこうしゅ)の3人ですね。

 

 

秦宜禄の事は少なからず杜氏の中にあったと思いますが、

これも戦国の世の中と割り切り、曹操を愛する事に決めたのでしょう。

 

ちなみに3人の子だけでなく、

連れ子であった秦朗も曹操によって可愛がられています。

 

 

杜氏は曹操の妻として何不自由ない生活が約束され、

連れ子であった秦朗も大事に育ててくれ、二人の間に3人の子供まで授かり、

曹操と結婚できたことを杜氏は幸せだなと感じたかもしれませんね。

曹林・曹袞

曹林も曹袞も魏の中でも

大きな問題も起こすことなく、徐々に地位を確立させていきました。

 

 

ちなみに曹袞はあまりに学問が好きで勉強しまくっていました。

それはそれは周りの者が「勉強しすぎて病気になるんじゃないか?」と心配するほどだったといいます。

実際早死しています。

 

実際に曹袞の文才は、曹植と渡り合うほどだったと言われています。

まぁそれでも曹植の方が文才が優れてはいたんですけどね。

金郷公主

唯一の女性であった金郷公主は、

後に曹爽とともに殺害されてしまった何晏(かあん)に嫁いでいます。

 

何晏は文学の能力に長けており、

何晏は王弼(おうひつ)とともに玄学の創始者であると言われるほどで、

「論語集解」「老子道徳論」を編纂したりしました。

 

後に「詩仙」と言われた李白も影響を受けたほどだったというから相当ですね。

 

 

ただ何晏は変わり者な上に、浮気癖があった為、

金郷公主は「何晏の事がだんだん嫌いになっていった」

という記録も残ってるぐらいなので、

 

後に何晏が司馬懿に処刑されてしまった時も

あまり悲しくなかったかもしれませんね。

 

 

ちなみに金郷公主は、

何晏が近い将来問題を起こす可能性がある事を心配し、

母である杜氏に相談したりもしていました。

 

そんな金郷公主の先見性は司馬懿に称賛された程で、

金郷公主とその子は何晏が処刑された際も命は救われたと言われています。