孫夫人(孫尚香)については、正史にも限られた記録しか残っておらず、

多くが三国志演義による装飾も多いです。

 

呉の孫家に女性として生まれ、

劉備に政略結婚として嫁いだ孫夫人(孫尚香)ですが、

彼女はどんな生涯を送ったのかここでは見ていきたいと思います。

 

またここでは孫夫人ではなく、孫尚香で名前を統一します。

孫尚香(孫夫人・そんしょうこう)

孫尚香は孫堅の子として生まれ、

孫策・孫権の妹としてこの世に誕生しています。

 

ちなみに父親は孫堅ですが、孫尚香の母親が誰なのか分かっていません。

 

また孫策・孫権の妹であるにもかかわらず、

呉書に全く記述が残されていないのも不思議なんです。

 

 

ただ非常に男勝りな性格で、じゃじゃ馬だったそうです。

その為に周りとのトラブルが絶えませんでした。

 

また常に武装した女官を連れていたようですし、

法を勝手に破ったりすることは日常茶飯事だったみたいです。

 

ただ「呉書」には孫尚香についての記載が見られません。

だから劉備と結婚したという大事な記録すらないのが現状です。

 

劉備と孫尚香が結婚していたというのは、

「蜀書」に記載されているのが元になっています。

劉備と孫尚香

蒼天航路(25巻210P)より画像引用

 

劉備は聖人君主のようなイメージを持ってる人も多いでしょうけど、

任侠精神を持った聖人君主からかけ離れていたというのが本来の劉備の姿です。

 

だからこそ、関羽や張飛といった豪の者を、

最初から引き連れていることからも想像つくんですけどね。

 

そんな劉備でさえ、傍若無人で自分勝手な孫尚香は手が負えませんでした。

むしろ妻である孫尚香を恐れていたようです。

 

おそらく私達がイメージする10倍ぐらいの鬼嫁だったのかもしれません。

冗談抜きで・・・

【特例措置発動】趙雲に目付け役を任せる

孫尚香があまりにも手に負えなかった為、

劉備は趙雲に孫尚香の目付け役を命じています。

 

はっきり言って、

趙雲ほどのものを目付け役にしなければいけないって、

どんな妻だよって話です。

 

 

そして何より趙雲を目付け役として孫尚香の傍においていたというのが、

この時代、特例中の特例なんですけどね。

 

それはいわずもがな、

妻が夫以外の子を生むような過ちがあってはいけないからです。

その為に子孫を残すことができない宦官や女官が側で世話をしていたのですから。

 

趙雲がただ単に豪の者というだけでなく、

劉備から厚く信頼されていたからこそ任された任務であったのです。

曹操・孫権と並んで危険視された孫尚香

蜀書「法正伝」には、

「北に曹操、南に孫権、更に内にあっては孫夫人の脅威があり、

その中で我が君が志を遂げたのは、ひとえに法孝直の功績である」

という諸葛亮の言葉が残っています。

 

 

これは法正の功績を称えたものですが、

 

ここで注目したいのは、

曹操・孫権と並べて孫尚香への危険性が書かれている点です。

 

曹操と孫権は他国なので蜀の脅威となるのは当たり前のことですが、

これと同列に劉備の妻を並べてる事が不思議でしかありません。

 

ですが単純にこれを解釈すると、夫である劉備自身でさえも、

いつ殺されても不思議ではない程の危険人物だったということじゃないでしょうか?

正史に陳寿が冗談で書いたなんて事は考えにくいですし。

孫尚香との離縁

 

劉備と孫尚香の関係は次第に悪化し、

孫尚香は成都から荊州へ移動し、そこで別居生活を送るようになったようです。

 

そこでしばらく過ごした後、

孫尚香は呉へと帰っていっています。

 

その後、孫尚香が再び登場する事はありませんでした。

これが正史の中から読み取れる孫尚香という人物になります。

三国志演義での孫尚香

蒼天航路(25巻218P・219P)より画像引用

 

正史と違って三国志演義では、

なんだかんだ言いながらも劉備を愛した孫尚香の姿が描かれています。

 

その後しばらくして、孫尚香が呉へ帰国することになっても、

孫尚香は呉から劉備を想い続け、劉備以外の者と再婚する事もありませんでした。

 

また劉備が夷陵の戦いで死亡したという話を聞いた時は、

劉備の後を追って、長江へ身を投げ入れたなんて素敵な話で最後は〆められています。