張遼・楽進・于禁・張郃・徐晃らは、いずれも曹操の覇業を支えた名将として知られています。

では、その子らは父の名声にふさわしい活躍を残したのでしょうか。

 

結論から言えば、正史では父に匹敵する武功を挙げた人物はほとんど見られません。

一方、『三国志演義』では何人かが物語に登場し、父譲りの勇将として描かれています。

以下では、正史と演義を分けて見ていきます。

張遼の子・張虎(ちょうこ)

【正史】

黄初3年(222年)、張遼は病を押して曹丕の呉親征に従軍しましたが、戦後まもなく病没しました。

その後、晋陽侯の爵位は嫡子・張虎が継承しています。

 

しかし『三国志』には張虎自身の事績はほとんど記されておらず、官歴や軍功も伝わっていません。

 

張虎の没後は、その子の張統が爵位を継いだことだけが記録されています。

つまり正史における張虎は、「張遼の家を継承した人物」として名を残すのみです。

【三国志演義】

横山光輝三国志(56巻64P・65P)より画像引用

『三国志演義』では張虎は北伐篇でたびたび登場します。

特に楽綝と行動を共にする場面が多く、司馬懿配下の若き将として蜀軍と戦いました。

 

諸葛亮との戦いでは捕虜となり、

司馬懿を挑発するため衣服を剥がされたまま解放されるという屈辱も味わいます

 

一方で、諸葛亮の策を司馬懿が破った際には、勇将・呉班を射倒す戦功を挙げています。

さらに公孫淵討伐にも司馬懿とともに従軍していますが、その後は物語から姿を消しています。

楽進の子・楽綝(がくちん)

【正史】

楽進の死後、その爵位は子の楽綝が継承しました。

景元元年(255年)、毌丘倹・文欽の乱では司馬師に従軍し、反乱鎮圧に参加しています。

 

司馬師は重傷を負いながらも軍を指揮し、楽綝には歩兵を預けて追撃を命じました。

反乱軍は敗れ、文欽は呉へ亡命し、毌丘倹は討ち取られています。

 

その後、甘露2年(257年)、

司馬昭は諸葛誕を司空に任じる勅命を伝える使者として楽綝を派遣しました。

 

しかし諸葛誕はこれを司馬氏の謀略と疑い、

「皇帝の正式な使者ではなく、楽綝が来たことも不審である」

として激怒し、役所へ押しかけて楽綝を斬殺します。

 

その後、諸葛誕は寿春で反乱を起こしましたが、司馬昭によって鎮圧されました。

楽綝には衛尉が追贈され、「愍侯」の諡号が贈られています。

 

爵位は子の楽肇がくちょうが継承しました。

【三国志演義】

演義でも北伐篇で張虎と並ぶ若手武将として登場します。

 

蜀軍との戦いでは幾度となく諸葛亮の計略に翻弄されますが、魏軍の前線を支える将として描かれています。

史実と同様、最終的には諸葛誕によって殺害される結末となっています。

于禁の子・于圭(うけい)

【正史】

関羽との樊城の戦いで于禁は降伏し、呉から帰国した後も不遇の晩年を送りました。

その死後、子の于圭が爵位を継承しています。

しかし于圭については、それ以外の事績は一切伝わっていません。

 

なお、「曹丕が于禁を辱めたため一族まで冷遇された」という印象を持たれがちですが、

爵位は問題なく世襲されているため、一族そのものが断絶や没落したわけではありません。

【三国志演義】

于圭は『三国志演義』には登場せず、物語上で活躍する場面もありません。

張郃の子・張雄(ちょうゆう)

【正史】

太和5年(231年)、張郃は諸葛亮軍を追撃中に流矢を受けて戦死しました。

その後、子の張雄が爵位を継承しています。

 

また曹叡は張郃の長年の功績を高く評価し、張雄を含む四人の子を列侯、末子を関内侯に封じました。

これは張郃の功績に対する異例ともいえる厚遇でした。

 

しかし張雄自身の軍歴や政治的活動は記録されていません。

【三国志演義】

張雄は演義には登場せず、物語上の活躍もありません。

徐晃の子・徐蓋(じょがい)

【正史】

徐晃の死後、その爵位は子の徐蓋が継承しました。

徐蓋の没後は孫の徐覇が跡を継いでいます。

 

ただし徐覇が徐蓋の実子であったことは推測されるものの、正史には明記されていません。

徐蓋自身についても具体的な軍功や事績は伝えられておらず、爵位継承の記録のみが残されています。

【三国志演義】

徐蓋は『三国志演義』には登場せず、活躍も描かれていません。

総評

魏の五大将軍はいずれも曹操政権を代表する名将でしたが、

その子らについては、父ほどの華々しい功績を残した人物はほとんど見られません。

 

正史で比較的目立った活躍を残したのは、

毌丘倹・文欽の乱の鎮圧に参加し、最終的には諸葛誕に殺害された楽綝くらいであり、

張虎・于圭・張雄・徐蓋はいずれも爵位を継承した記録が中心です。

 

一方、『三国志演義』では張虎や楽綝が北伐でたびたび登場し、

蜀軍と激戦を繰り広げるなど、史実以上に存在感が与えられています。

 

父の名声があまりにも大きかったため、その後継者たちは比較される宿命を背負いました。

しかし、彼らはそれぞれ家名を守り、名将の血統を次代へ受け継いだ人物であったことは間違いありません。