出師表

建興五年(227年)に諸葛亮が北伐に向う際に、

劉禅に上奏したのが「出師表」になります。

 

「出師表」には、諸葛亮の遺言とも思えるような内容も含まれており、

それだけの覚悟をもって北伐に望んだ諸葛亮の想いが詰め込まれていたものになります。

 

ちなみに「出師表」には「後出師表」というものもあり、

それと区別するために「前出師表」と呼ばれることもあったりします。

 

ただ一般的に「出師表」と言えば、最初のものを指すことが一般的ですね。

 

 

また「出師表」は名文とされており、

「出師の表を読んで涙しない者は不忠である」とも言われる程ですね。

 

正確には次のように書きます。

「諸葛孔明の出師の表を読みて涙を堕さざれば、

その人、必ず不忠」と・・・

 

 

ちなみに「後出師表」は、

前出師表を上奏した翌年である建興六年(228年)に、

 

改めて劉禅に出師表を上奏したという事が張儼「黙記」に記載されており、

陳寿の「三国志(正史)」に裴松之が注釈でそれを追記しています。

 

 

しかしそもそもの話として、もともと蜀に仕えていた陳寿が、

 

『諸葛亮の「後出師表」についての記録を残していないのはおかしい』

という判断からも疑われていたりします。

 

後は生存しているはずの趙雲が亡くなっていたりと・・・

 

 

ちなみに張儼は孫呉に仕えた人物ではありますが、

「黙記」は現在では散逸してしまっています。

「後出師表」の元ネタとなる「黙記」を著した張儼

出師表(前出師表)の原文

横山光輝三国志(49巻175P)より画像引用

 

「前出師表」

臣亮言 先帝創業未半 而中道崩殂

今天下三分 益州疲弊 

此誠危急存亡之秋也

然侍衛之臣 不懈於內 忠志之士 忘身於外者

蓋追先帝之殊遇 欲報之於陛下也

誠宜開張聖聽 以光先帝遺徳 恢弘志士之気

不宜妄自菲薄 引喩失義 以塞忠諫之路也

宮中府中俱爲一體 陟罰臧否 不宜異同

若有作姦犯科 及為忠善者

宜付有司 論其刑賞

以昭陛下平明之治 不宜偏私 使內外異法也

 

 

侍中侍郞郭攸之費禕董允等 此皆良実 志慮忠純

是以先帝簡拔以遺陛下

愚以為宮中之事 事無大小 悉以咨之 然後施行

必能裨補闕漏 有所広益

将軍向寵 性行淑均 曉暢軍事

試用之於昔日 先帝弥之曰

能是以衆議挙寵為督

愚以為営中之事 事無大小 悉以咨之

必能使行陣和睦 優劣得所也

 

 

親賢臣 遠小人 此先漢所以興隆也

親小人 遠賢臣 此後漢所以傾頽也

先帝在時 毎与臣論此事

未嘗不歎息痛恨於桓霊也

侍中尚書長史參軍 此悉貞亮死節之臣也

願陛下親之信之

則漢室之隆 可計日而待也

 

 

臣本布衣 躬耕南陽

苟全性命於乱世 不求聞達於諸侯

先帝不以臣卑鄙 猥自枉屈

三顧臣於草廬之中 諮臣以当世之事

由是感激 遂許先帝以駆馳

値傾覆 受任於敗軍之際 奉命於危難之間

爾來二十有一年矣

 

 

先帝知臣謹愼

故臨崩寄臣以大事也 

受命以來 夙夜憂歎

恐付託不効 以傷先帝之明

故五月渡瀘 深入不毛 今南方已定 甲兵已足

当奨率三軍 北定中原 庶竭駑鈍 攘除姦凶 興復漢室 還於旧都

此臣所以報先帝 而忠陛下之職分也

至於斟酌損益 進盡忠言 則攸之禕允之任也

 

 

願陛下託臣以討賊興復之効

不効則治臣之罪 以告先帝之霊

若無興復之言

則責攸之禕允等之咎 以彰其咎

陛下亦宜自謀 以諮諏善道

察納雅言 深追先帝遺詔

臣不勝受恩感激

今当遠離 臨表涕零 不知所云

「出師表(前出師表)」書き下し文

 

臣亮言しんりょうもうす。先帝創業未だ半ばならずして、中道に崩殂せり。

今天下三分し、益州は疲弊す。

此れ誠に危急存亡のときなり。

然れども、侍衛の臣、内におこたらず、忠志の士、身を外に忘るるは、

けだし先帝の殊遇しゅぐうを追いて、これを陛下に報いんと欲すればなり。

誠に宜しく聖聴を開帳し、以て先帝の遺徳をかがやかし、志士の気を恢弘すべし。

宜しくみだりに自ら菲薄し、喩えを引き義を失い、以て忠諫ちゅうかんの路を塞ぐべからず。

宮中・府中は俱に一体たり、臧否を陟罰ちょくばつするに、宜しく異同あるべからず。

若し姦をとがを犯し、及び忠善をなす者あらば、

宜しく有司に付して、其の刑賞を論じ、以て陛下平明の治を昭かにすべし。

宜しく偏私して内外をして法をこと使せしせしむべからざるなり。

 

 

侍中・侍郎の郭攸之・費禕・董允等は、これ皆良実にして、志慮忠純なり。

これを以て先帝簡抜かんばつして以て陛下に遺せり。

以為おもえらく宮中のことは、事の大小と無く、悉く以てこれにはかり、しかる後に施行せば、

必ず能く闕漏けつろう稗補ひほし、広益する所有らん。

将軍の向寵は性行淑均せいこうしゅくきんにして、軍事に暁暢ぎょうちょうせり。

昔日に試用せられ、先帝これを称して能と曰う。

是を以て衆議は寵を挙げて以て督と為せり。

以為おもえらく宮中の事は、事大小と無く、ことごとく以て之にはからば、

必ず能く行陣をして和睦し、優劣所を得しめん。

 

 

賢臣を親しみ小人を遠ざくるは、此れ先漢の興隆せし所以なり。

小人を親しみ賢臣を遠ざくるは、これ後漢の傾頽けいたいせし所以なり。

先帝在りし時、毎に臣と此の事を論じ、未だ嘗て桓・霊に嘆息痛恨せずんばあらざるなり。

侍中・尚書・長史・参軍は、これ悉く貞亮にして節に死するの臣なり。

願わくは陛下之に親しみ之を信ぜば、

則ち漢室のさかんならんこと、日を計りて待つ可きなり。

 

 

臣は本布衣もとふいみずから南陽に耕す。

いやしくも性命を乱世に全うし、聞達を諸侯に求めず。

先帝、臣の卑鄙ひひなるを以てせず、みだりに自ら枉屈おうくつし、

三たび臣を草廬の中に顧み、臣にはかるに当世の事を以てしたまえり。

是に由りて感激し、遂に先帝に許すに駆馳くちを以てせり。

後に傾覆けいふくい、任を敗軍の際に受け、命を危難の間に奉ず。

爾来じらい二十有一年なり。

 

 

先帝は臣の謹慎なるを知る。

故に崩るに臨み、臣に寄するに大事を以てしたまえり。

命を受けて以来、夙夜しゃくや憂歎し、

付託の効あらずして、以て先帝の明を傷つけんことを恐る。

故に五月濾を渡り、深く不毛に入れり。

今南方已に定まり、甲兵已に足る。

まさに三軍を奨帥し、北のかた中原を定むべし。

こいねがわくは駑鈍どどんくし、姦凶を攘除じょじょし、以て漢室を興復し、旧都に還さん。

此れ臣の先帝に報いて、陛下に忠なる所以の職分なり。

損益を斟酌しんしゃくし、進みて忠言を尽くすに至りては、則ち攸之・禕・允の任なり。

 

 

願わくは陛下、臣に託するに討賊興復の効を以てせよ。

効あらずんば、則ち臣の罪をして、以て先帝の霊に告げよ。

若し徳を興すの言無くんば、

則ち攸之・禕・允等のおこたりを責めて、以て其のとがあきらかにせよ。

陛下亦た宜しく自ら謀りて、以て善道を諮諏ししゅし、

雅言を察納し、深く先帝の遺詔を追うべし。

臣、恩を受け感激にえず。

今遠くを離るるに当たり、表に臨みて涕零ていれいし、言う所を知らず。

「出師の表で涙しない者は不忠」と言い出したのは誰?

「出師表(前出師表)」翻訳

臣亮言しんりょうもうす。先帝創業未だ半ばならずして、中道に崩殂せり。」

臣下である諸葛亮が申しあげます。先帝(劉備)が志半ばにして崩御なさいました。

 

「今天下三分し、益州は疲弊す。」

現在天下は三つに分かれていますが、益州(蜀)が一番苦しい状況にあります。

 

「此れ誠に危急存亡のときなり。」

これは私達にとってまさに危急存亡の時と言えるでしょう。

 

「然れども、侍衛の臣、内におこたらず、忠志の士、身を外に忘るるは、」

しかし我々臣下一同は内政を怠らず、忠義ある者達が前線で戦っておりますのは、

 

けだし先帝の殊遇しゅぐうを追いて、これを陛下に報いんと欲すればなり。」

先帝からの御恩を忘れず、陛下(劉禅)に報いる事を望んでいるのです。

 

「誠に宜しく聖聴を開帳し、以て先帝の遺徳をかがやかし、志士の気を恢弘すべし。」

陛下は忠義ある者達の言葉を聞き入れ、先帝の残された御徳を更に輝かしいものにし、志高い者達の広く用いてくださいませ。

 

「宜しくみだりに自ら菲薄し、喩えを引き義を失い、以て忠諫ちゅうかんの路を塞ぐべからず。」

また陛下自身も自らを過小評価するのではなく、義心をもって忠言に耳を傾けてださいませ。

 

「宮中・府中は俱に一体たり、臧否を陟罰ちょくばつするに、宜しく異同あるべからず。」

そして宮廷の者と府中の者が一体となり、善悪の賞罰にあたって不公平な事があってはなりません。

 

「若し姦をとがを犯し、及び忠善をなす者あらば、」

罪を犯した者や国の為に尽くした者には、

 

「宜しく有司に付して、其の刑賞を論じ、以て陛下平明の治を昭かにすべし。」

その賞罰をはっきりとさせ、陛下の公平明確な治世を世に知らしめるべきです。

 

「宜しく偏私して内外をして法をこと使せしせしむべからざるなり。」

また個人の感情を持って、宮中・府中の法律が異なることがあってもなりません。

 

 

 

「侍中・侍郎の郭攸之・費禕・董允等は、これ皆良実にして、志慮忠純なり。」

侍中・侍郎の郭攸之・費禕・董允らは、皆優れた人物で忠実な者達であります。

 

「これを以て先帝簡抜かんばつして以て陛下に遺せり。」

だからこそ先帝は彼らを陛下の為に残されたのです。

 

「愚以為おもえらく宮中のことは、事の大小と無く、悉く以てこれにはかり、しかる後に施行せば、」

私が思うに宮中の事に関しては、大小に関わらずに全て彼らに相談した上で施行すれば、

 

「必ず能く闕漏けつろう稗補ひほし、広益する所有らん。」

間違うようなことがなく、うまくいくことでしょう。

 

「将軍の向寵しょうちょう性行淑均せいこうしゅくきんにして、軍事に暁暢ぎょうちょうせり。」

将軍である向寵しょうちょうは穏やかな性格をしており、誠実な人物であるだけではなく、軍事にも精通している人物です。

 

「昔日に試用せられ、先帝これを称して能と曰う。」

かつて先帝が向寵を用い、有能な人物であると仰られました。

 

「是を以て衆議は寵を挙げて以て督と為せり。」

だからこそ満場一致で向寵は中部督に任じられたのであります。

 

「愚以為おもえらく宮中の事は、事大小と無く、ことごとく以て之にはからば、」

私が思うに宮中の軍事に関する事は、大小に関わらずに全て彼に相談すれば、

 

「必ず能く行陣をして和睦し、優劣所を得しめん。」

軍の統率は上昇し、適材適所に応じた配置を行ってくれることでしょう。

 

 

 

「賢臣を親しみ小人を遠ざくるは、此れ先漢の興隆せし所以なり。」

優れた人物を優遇し、つまらない人物を遠ざけた事で、前漢は隆盛を極めました。

 

「小人を親しみ賢臣を遠ざくるは、これ後漢の傾頽けいたいせし所以なり。」

一方でつまらない人間を優遇し、優秀な人物を遠ざけた事で、後漢は没落していきました。

 

「先帝在りし時、毎に臣と此の事を論じ、未だ嘗て桓・霊に嘆息痛恨せずんばあらざるなり。」

まだ先帝が存命だった頃は、いつも私とそれらの事について論じられ、桓帝・霊帝の治世に対して溜息をつかれておりました。

 

「侍中・尚書・長史・参軍は、これ悉く貞亮にして節に死するの臣なり。」

侍中・尚書・長史・参軍の者達は、全て陛下の為に命を捨てることができる者達になります。

 

「願わくは陛下之に親しみ之を信ぜば、」

陛下が彼らに親しみを持って接し、彼らに信頼を持たれるならば、

 

「則ち漢室のさかんならんこと、日を計りて待つ可きなり。」

漢王朝の再興は、日を数えて待つようなものです。

 

 

 

「臣は本布衣もとふいみずから南陽に耕す。」

私はもとは無官の身で、南陽にて畑を耕しておりました。

 

いやしくも性命を乱世に全うし、聞達を諸侯に求めず。」

そして乱世の世の中にあって自らの命があればよいとだけ考えており、諸侯に仕官する事もありませんでした。

 

「先帝、臣の卑鄙ひひなるを以てせず、みだりに自ら枉屈おうくつし、」

しかし先帝は私の身分を気にされる事もなく、自らをへりくだり、

 

「三たび臣を草廬の中に顧み、臣にはかるに当世の事を以てしたまえり。」

三度までも私の草庵に足を運んで頂き、今後の取るべき道をお尋ねになられました。

 

「是に由りて感激し、遂に先帝に許すに駆馳くちを以てせり。」

私はこれに対して非常に感激し、生涯にわたって先帝にお仕えする事を決意したのです。

 

「後に傾覆けいふくい、任を敗軍の際に受け、命を危難の間に奉ず。」

その後に長坂の戦いにて敗れる中で、私は呉との同盟を締結するように命じられました。

 

爾来じらい二十有一年なり。」

思えばそれからもう二十一年の月日が経ったものです。

 

 

 

「先帝は臣の謹慎なるを知る。」

先帝は私が謙虚である事を知っておいでだったのか、

 

「故に崩るに臨み、臣に寄するに大事を以てしたまえり。」

亡くなられる前に、私に対して国の大事を託されました。

 

「命を受けて以来、夙夜しゃくや憂歎し、」

私はその言葉を受けて以来、朝な夕な思い悩み、

 

「付託の効あらずして、以て先帝の明を傷つけんことを恐る。」

もし先帝の願いに応えられないようなことにでもなれば、先帝の志まで傷つけてしまうのではないかと心配しています。

 

「故に五月濾を渡り、深く不毛に入れり。」

だから私は五月に瀘水を渡り、南方の反乱討伐に乗り出しました。

 

「今南方已に定まり、甲兵已に足る。」

そして今や南方の地も平定され、軍備も十分に足りております。

 

まさに三軍を奨帥し、北のかた中原を定むべし。」

今こそ三軍を率いて北伐を開始し、中原を平定すべきです。

 

こいねがわくは駑鈍どどんくし、姦凶を攘除じょじょし、以て漢室を興復し、旧都に還さん。」

私は愚かな人間ではありますが、魏を倒して漢王朝を再興し、旧都(長安&洛陽)を奪還せねばなりません。

 

「此れ臣の先帝に報いて、陛下に忠なる所以の職分なり。」

これこそが先帝の御恩に報い、陛下に対する忠誠の証となるものと考えております。

 

「損益を斟酌しんしゃくし、進みて忠言を尽くすに至りては、則ち攸之・禕・允の任なり。」

国家の損益を考えて忠言をするのは、郭攸之・費禕・董允の役目になります。

 

 

 

「願わくは陛下、臣に託するに討賊興復の効を以てせよ。」

願わくば陛下、私に「魏を討ち、漢王朝を再興せよ」とお命じ下さいませ。

 

「効あらずんば、則ち臣の罪をして、以て先帝の霊に告げよ。」

そして私が漢王朝の再興を果たせないようなら、私を罰して先帝へご報告下さい。

 

「若し徳を興すの言無くんば、」

また国家の事に対して助言が得られないようなことがあれば、

 

「則ち攸之・禕・允等のおこたりを責めて、以て其のとがあきらかにせよ。」

郭攸之・費禕・董允の怠慢を責め、その罪を明らかにされて下さいませ。

 

「陛下亦た宜しく自ら謀りて、以て善道を諮諏ししゅし、」

陛下におかれましても、良き政治がどういうものかについては臣下の者に相談なされ、

 

「雅言を察納し、深く先帝の遺詔を追うべし。」

正しい意見を取り入れて、先帝の御志を引き継がれてくださいませ。

 

「臣、恩を受け感激にえず。」

私はこれまで受けてきた御恩に対して感激が絶えません。

 

「今遠くを離るるに当たり、表に臨みて涕零ていれいし、言う所を知らず。」

これから国を遠く離れて出陣するにあたり、

この上奏文を書いている最中も涙が次から次へと溢れてしまい、これ以上何も申し上げることはございません。