「神医」と呼ばれた華佗には、二人の優れた弟子がいました。

一人は呉普ごふで、もう一人は樊阿はんあです。

 

 

華佗の陰に隠れ、あまり知られていない人物ではありますが、

今回はそんな二人について見ていきます。

呉普の著した「呉普本草」

漢時代以降、「薬物学」の分野は大きく成長し、

 

薬物から得られるメリットであったり、デメリットであったりと、

そういう知識が色々と研究されるようになっていきました。

 

そして現存している最古の「薬物学」について書かれてあるのが、

「神農本草経」になりますね。

 

 

もう少し分かりやすい表現をしますと、

「神農本草経」は「薬物学」の専門書みたいな感じです。

 

 

もちろんそれ以外にも、

代表的な専門書として次のようなものがあります。

  • 桐君採薬録
  • 李氏薬録
  • 呉普本草

 

 

 

この中の「呉普本草」は名前からも推測ができますが、

華佗の弟子の呉普によって著されたものになりますね。

 

 

「呉普本草」合計六巻で構成されており、

441種の薬物についてのことが記載されています。

 

 

「呉普本草」を著した呉普ですが、

これが書かれたのは240年前後あたりだと一般的に言われています。

 

 

 

また「呉普本草」は、

「240年前後に書かれた」と一般的に言われていますが、

 

 

「神農本草経」の薬物名称や別名・効能・産地等の情報を強化し、

 

生態事情や収集できる時期であったり、

それらを加工する方法等が新たに追加されたのでした。

 

 

 

ですので同じ薬物でも、

地域によって呼び名が違うものが沢山あったのですが、

 

一つ一つを丁寧にまとめあげることで、間違いを少しでも減らそうと考えたわけです。

 

 

また呉普はそれと同時に、名称の統一にも力を入れていたのでした。

 

 

 

そんな「呉普本草」ですが、北宋時代に散逸してしまったといいます。

 

しかし「呉普本草」の内容は様々な薬物書などに引用されていたことから、

現在にほとんどの内容が伝わっています。

 

 

 

ちなみに「呉普本草」の内容を最も引用している書物は、

 

北宋の太宗(趙匡義)の勅命により、

李昉・徐鉉ら14人によってまとめあげられた、

 

全千巻からなる「太平御覧」だったりします。

 

 

ここには「呉普本草」の441種のうち、

191種が引用されていますね。

呉普と華佗の逸話(長寿の秘訣)

呉普(広陵出身)ですが、

華佗から多くの技術を継承しています。

 

 

その一つがこれから紹介する二人の逸話になります。

 

 

ある時に華佗は呉普に対して、

次の事を話して聞かせた事ありました。

『働くことは大事な事ではあるけれども、

「働き過ぎ」には注意しなければならない。

 

無理ない労働は、程よい体の運動になって、

健康を保つ上で体にも良いものである。

 

一方で無理な労働は体に大きな負担がかかって病気を招いてしまう。

 

 

だから体が少しでも不調に感じた場合は、

一つの動物の動きを真似して、体の中から汗を出すことが大事である。

 

その後は自然と体が軽くなったように感じるだろう。

 

 

また良い事は連鎖し、運動した後はお腹がすいて

何かを食べたくなるはずだ!

 

そのように正しい循環が大事なことを覚えておくように!』と・・・

 

 

 

ここで登場した「動物の動き」というのは、

華佗が編み出した五禽戯ごきんぎという健康法になります。

 

その五禽戯ごきんぎというものは、

五つの動物(鳥含む)の動きを真似した体操だったわけです。

 

 

「五禽戯」は華佗自身もよく行っていた体操であり、

呉普も教えられてからというもの、「五禽戯」の体操を繰り返し続けたといいます。

 

 

 

 

「年90余にして耳目聡明、歯牙完堅たり」

という言葉が残っていますが、

 

これは呉普「九十歳」を超えても歯が抜け落ちることもなく、

目の視力は衰えず、も遠くなることはなかったという意味になりますね。

 

そして呉普は百歳を超えて長生きしたと伝わっています。

 

 

また華佗は天寿を全うすることなく曹操に処刑されてしまいましたが、

「それでも既に百歳を超えていた」といいます。

 

 

また呉普同様に華佗自身も、

 

歯が抜け落ちることもなく、視力の低下もなく、

耳も遠くなることはなかったのでした。

 

 

そんな華佗が編み出した「五禽戯」は、

現在まで伝わっており、今でも実践している人も多いようです。

華佗の編み出した健康法「五禽戯(ごきんぎ)」

樊阿 -鍼灸の名人-

樊阿(彭城出身)華佗に弟子入りした一人で、

鍼灸はりきゅうの名人でした。

 

 

この時代の考えとして、

胸と背中の間には大事な臓器が沢山あり、

基本的にそのあたりには鍼をするものではなく、

 

もし鍼をする必要があった場合も、

「四分の深さ(約1.2cm)を絶対に越えてはいけない」とされていました。

 

 

 

しかし樊阿は「背兪穴」という重要な経穴が沢山ある所でも、

一寸〜二寸(約3cm〜6cm)を刺すことも可能であり、

 

巨闕(みぞおちの中心付近)に関しては、

五寸〜六寸(約15cm〜18cm)を刺すことができたといいます。

 

「人によってはほぼ貫通してしまう程に鍼を刺している」

ということになりますね。

 

 

つまり樊阿が臓器の位置を正確に熟知していたからこそ、

「正確かつ深くまで鍼を刺すことができた」ということが言えるわけです。

 

樊阿はこの鍼の技術と灸を併用する事で、多くの人達を救ったといいます。

樊阿と華佗の逸話(長寿の秘訣)

ある時に樊阿が華佗に対して、

「効果的な方剤の作り方を教えてほしい!」

と頼んだことがありました。

 

 

そして華佗は樊阿に対して、「漆葉青黏散」の作り方を教えたのでした。

 

 

「漆葉青黏散」の作り方は、

「漆葉を一升と青黏せいねんを十四両を合わせる」というもので、

 

一升は約1リットル」の事であり、「十四両とは約210グラム」になりますね。

 

 

 

『「漆葉青黏散」の服用を続けると、

腹の中の寄生虫を駆除する事が可能』なだけでなく、

 

五臓六腑の働きを活性化させ、

体を健康的に保つこともできるそうです。

 

 

そして驚くべきことに白髪になることもなかったとか・・・

 

 

 

また樊阿は「漆葉青黏散」を患者に服用しただけでなく、

樊阿自身も服用し続け、百歳を超えるまで長生きしたといいます。