蜀都である成都に住んでいた仙人であり、

 

なおかつ凄腕の占い師といえば、

間違いなくこの人物の名が上がるのではないでしょうか?

 

 

その人物とは、李意其という人物なんですが・・・

「神仙伝」に記載が残る李意其(李意期/りいき)

李意其李意期とも李意とも呼ばれることのある人物で、

 

その年齢は三百歳を優に超えていて、

成都にある青城山の西に住んでいたといいます。

 

 

まぁ普通に考えて三百歳はあり得ないと思いますが、

 

この時代の仙人の年齢で、

三百歳という年齢は本当に良く出てくる年齢だったりします。

 

 

有名な所で言えば、

「方士伝」に記録が残る左慈・甘始・郤倹の三名ですが、

 

みんな三百歳を超えている点からも、

仙人にとって三百歳通過点に過ぎなかったのでしょうね。

 

 

 

ただ左慈・甘始・郤倹の三名は三国志正史に登場しているのに対し、

李意其は正史に登場していません。

 

 

ただ三国志に注釈を加えている裴松之は、

 

李意其について「神仙伝」を省略した形ではありますが、

一応の注釈は加えていますけども・・・

 

 

ただ李意其について詳しく書かれてるのは、

葛洪かつこうの「神仙伝」になります。

 

ちなみに葛洪は、

晋が呉を滅ぼした280年以降の283年に生まれた人物です。

 

 

そして葛洪が著した「神仙伝」には、

92人の人物が紹介されていますが、

 

その中には正史にも登場する左慈についての記載もありますし、

「杏子」で有名な董奉も「神仙伝」には登場していたりします。

杏仁豆腐を生み出した名医、董奉

文帝時代から生きている李意其

李意其は劉備について占った人物でもあるんですが、

漢の文帝の時代にも生きていた人物でもあります。

 

つまり漢の文帝というのは紀元前180年に即位した人物である点からも、

劉備の次代には普通に300歳を超えているわけです。

 

 

李意其には不思議な力があったようで、次のような話が残っていたりします。

 

ある時に「短時間で遠くまで行きたい!」と申す者に対して、

あることをしてあげたのですが、

 

それで千里の道を往復するのに、

一日もかからなかったといった逸話が残っています。

 

あることとは簡単な二つのおまじないみたいなものですが・・・

  1. 呪符を手渡す
  2. 両脇の下に赤色の文字を書く

李意其のその他の逸話

李意其は周囲の者に対して、

 

「国中の宮殿や市場を見てきた!」

と語ったことがありました。

 

 

しかしそれに納得できない者がいたのですが、

李意其は粘土で宮殿や市場の詳細な模型を作ったと言います。

 

その模型は一寸(約3cm)しかないはずなのに、

寸分の狂いもないほどに正確に作成されていたそうです。

 

 

そして気が付けば、李意其はその場から消えていたと・・・

劉備との逸話

長らく苦楽を共にした関羽・張飛が死んでしまい、

劉備は復讐戦として、呉を倒すべく進軍を開始します。

 

 

劉備は多くの者達の反対を押しきって出兵したこともあって、

一抹の不安があったのですが、

 

その不安をを払拭すべく、

吉凶占いで有名な李意其を呼んで占ってもらうのでした。

 

 

 

依頼を受けた李意其ですが、

劉備の問い掛けには一切答えようとせず、

 

ただ単に兵士・馬・武器の絵を描いては、

全て破り捨てたのです。

 

 

そして最後に大きな人物の絵を描いたのですが、

その絵は破ることはせず、土の中に埋めたのでした。

 

そして李意其は、劉備の元を後にしたのでした。

 

 

劉備は李意其の振舞いに対して、

 

「なんて無礼な奴なんだ!!」

と思ったようですが、

 

命運をかけた大戦の前に、

「仙人と呼ばれている者を処罰することは縁起が悪い!」

と考えた劉備は、李意其をただただ見送ったのでした。

 

 

そして李意其のこの行動こそが、

予言であったということが分かるのは、

 

劉備が陸遜の火計によって夷陵で大敗を喫し、

白帝城で劉備が没してしまった時だったのです。

 

 

李意其が兵士・馬・武器を全て破り捨てたのは、

この戦いで多くの損失を出して負けてしまうことを意味しており、

 

最後に描いた大きな人物を土に埋めたのは、

蜀の大黒柱であった劉備が亡くなって土葬される意味だったことを・・・

劉備 -流浪の果てに皇帝まで上り詰めた英雄-

その後の李意期

李意期は依頼がある度に依頼者を占うわけですが、

劉備の時と同様に基本的に喋ることはなかったそうです。

 

そして相談者の悩みが吉凶を占うだけならば、

李意期が穏やかに微笑んでいるのかどうかをみるだけで良かったといいます。

 

つまり李意期が微笑んでいれば

そうでなければだということなわけです。

 

 

そうやって多くの者達の吉凶を占ってきた李意期ですが、

琅邪の山中に入って以降に彼の姿を見た者はいなかったそうです。