孫皎(そん こう)とその一族

孫皎孫静の三男で、

 

兄には会稽独立問題で失脚した孫暠

孫権・周瑜から信頼されていた孫瑜がいたりします。

 

弟には江夏での戦いで活躍した孫奐がいたり、

兄弟の中にあって驚くほど記載がない孫謙がいたり・・・

孫静 -会稽郡攻略を成し遂げた立役者-

「天下二分の計」の水軍担当予定だった孫静の次男、孫瑜

 

 

 

そんな孫皎には、

孫胤・孫晞・孫咨・孫弥・孫儀

といった息子達がいました。

 

この兄弟についての記載が、

結構少ないのはもう仕様的な所がありますが、

 

孫奐の息子同様に、比較的記録がまだ残ってる方じゃないかなと思いますね。

 

 

ただ兄の孫瑜の息子にあたる孫弥そんびと、

同姓同名の息子がいるのは個人的には納得できませんねー。

 

これだけ近いところで同姓同名になぜしたんだろうと・・・

若かりし頃から期待された孫皎

孫静の息子には孫暠・孫瑜・孫皎・孫奐・孫謙がいますが、

蒼天航路に登場している点からも、一番知名度は高いかもしれません。

 

関羽に見事なまでにやられましたけど・・・

 

 

そんな孫皎ですが、

若かりし頃から期待を受けて護軍校尉に任じられ、

 

二千の兵士を預かったといいます。

 

 

孫静の一門ということもあって他の兄弟同様に期待され、

 

荊州の前線拠点であった夏口の守りを、

孫家三代に仕えた重臣であった程普に代わって任されることになります。

 

 

代わりに任された理由は、単純に程普が亡くなったからですね。

それに伴っての期待されての抜擢だったわけです。

 

 

孫皎は都護・征虜将軍に任じられ、

程普同様に孫家三代に仕えた黄蓋や兄の孫瑜が亡くなると、

 

黄蓋や兄の軍権の多くを引き継ぐこととなります。

 

そしてこの時に孫権から、

沙羡・雲杜・南新市・竟陵の領地を頂いたりもしていますね。

これは三国(魏・呉・蜀)の中で、

呉が奉邑ほうゆう制を採用していたからであって、

 

兵士を養う為に官職に応じて領地(県)を与え、

その領地から得られる収入で兵士を養うといったものだったわけです。

孫皎は民衆に優しく、

私財を惜しまずに人に与えた人物で、

 

劉靖・李允・呉碩・張梁など優れた者達を採り立てたといいます。

 

これらの者達は孫皎が亡くなった後も、

弟である孫奐によっても重用されていくことになる者達ですけどね。

一門の発展に邁進した孫静の四男、孫奐(そんかん)

荊州討伐戦

劉備が益州奪取に成功したにもかかわらず、

劉備が荊州を孫権に返すそぶりがないことから孫権の堪忍袋の緒が切れます。

 

まぁ孫権が激怒したのも当たり前で、

もともと益州を奪ったら返す約束を反故にし、

 

「今度は涼州を奪ったら・・・」

なんて劉備が言ったものだから当然ですね。

 

 

これにより孫権は一気に荊州へと進軍!

 

孫皎は呂蒙と協力して、

長沙・桂陽の制圧に成功してますが、

 

両郡はあっさり降伏しただけですね。

 

 

また勢いに乗じて零陵も・・・

ただ零陵太守に任じられていた郝普は、少しかわいそうな感じでしたけどね。

 

 

郝普について何がかわいそうだったか軽く触れておきますが、

長沙・桂陽郡の太守と違って徹底抗戦を主張するも、

 

「劉備は漢中で包囲され動けない!

一方の関羽も孫権に敗れて援軍には来れない!」

と嘘の情報に踊らされて降伏!

 

 

後にこの零陵郡だけは、

単刀赴会という有名な話し合いで返還されることになりますが、

 

単刀赴会が行われるまで三郡を治めたのが、

「資治通鑑」の中では孫皎であったとの記載が残っています。

 

まぁこのあたりの所は諸説あったりするので、

少しはっきりしないところがあったりしますけどね。

 

 

その後も孫皎は、赤壁以上の戦いだったという呼び声もある、

濡須口の戦い(第一次~第三次)などにも参加したりしていますが、

 

その濡須口の戦いでは大活躍をしたとか・・・

荊州討伐戦(関羽捕縛)

劉備と孫権の関係が悪化すると、

最終的に孫権は曹操と結んで荊州を守る関羽の背後を強襲します。

 

関羽は当時魏領であった樊城へと進軍していた最中で、

傅士仁・麋芳の裏切りもあって後方はぼろぼろの状態に・・・

 

 

最終的に関羽は孫権軍によって捕らえられることとなりますが、

孫皎はこの関羽捕縛に大きく貢献していますね。

 

ただそれから間もなく病死してしまったことから、

関羽の呪いの一人に数えらることに・・・

 

 

蒼天航路では漫画が完結する間近だったこともあり、

関羽のやられ役として幕を下ろさせたのでしょうね。

 

 

 

また孫皎亡き後は、

弟である孫奐が孫皎の部下や軍権の多くを引き継いでいます。

一門の発展に邁進した孫静の四男、孫奐(そんかん)

最後に余談(逸話)

最後に孫奐にについての逸話紹介して終わりたいと思います。

 

ある時にある者が敵地から、

女性をさらってきたことがあったようです。

 

一言でいえば拉致ですね。

 

 

その女性を孫皎に献上してきたようですが、

 

孫皎は女性を受け取るどころか、

衣服を与えて家に帰してあげたようです。

 

 

弱い者達に非常に優しく接したこともあって、

孫皎は民衆をはじめ多くの者達から慕われたと言われています。

 

 

これだけ聞くと悪いところが見当たらないように見える孫皎ですが、

実はちょっと短気である逸話も残っていますね。

 

一言でまとめると甘寧との激突です。

蒼天航路(36巻/最終巻13P)より画像引用

 

 

夏口の守りを任されていた孫皎の指揮下に甘寧が置かれたことがありました。

 

酒の席で孫皎は身分の差から、

甘寧を馬鹿にしたような言動をとったといいます。

 

それに対して甘寧は激怒!!!

 

「こんな奴の下で働けるか!」

と甘寧は孫権に直談判・・・

 

 

しかし孫権がこのことを孫皎に注意したことで、

孫皎は反省して甘寧に謝罪!

 

謝罪された甘寧は孫皎を許し、

もともと似た者同士であった二人は意気投合したといいます。

受けた恩義には命をかけて報いた将軍、甘寧(かんねい) 〜曹操に張遼がいるならば、私には甘寧がいる〜