瀬戸大将(関羽をモチーフとした妖怪)
瀬戸大将は、鳥山石燕によって作られた日本の妖怪になります。
鳥山石燕は江戸時代の絵師であり、
1712年から1788年まで生きた人物ですが、
弟子には美人画として大成した喜多川歌麿がいたりします。
喜多川歌麿が描きあげた「寛政三美人 」は、
なにかしらで一度は目にしたことがある人が多いのではないでしょうか!?
そんな関羽をモチーフとした瀬戸大将を登場させたのが、
妖怪画集である「百器徒然袋」になります。
ちなみに瀬戸大将は徳利の顔をしており、
手には徳利の槍を持ちながら、背中には燗鍋を背負っており、
まとっている甲冑も全て瀬戸物の寄せ集めで作られた妖怪となっており、
日本の妖怪としては江戸時代に誕生している事からも、新しい妖怪だと言えるでしょうね。
ただ何故にこの似ても似つかないような瀬戸大将が完成する過程として、
関羽をモチーフにされたのかといいますと、
「曹孟徳に唐津やきのからきめ見せし
燗鍋の寿亭侯にや蜀江のにしき手を着たり」
と石燕は説明文を載せており、
瀬戸大将は、瀬戸物の付喪神と唐津物の付喪神による、
陶磁器同士の争いを描いた際の瀬戸物の妖怪であり、
瀬戸物の付喪神を関羽として、
唐津物の付喪神を曹操として考え出した妖怪とされています。
ちなみに瀬戸大将みたいな名前は唐津物(曹操)にはありません。
「瀬戸物」と「唐津物」
ちなみに現在でいう所の「瀬戸物(瀬戸焼)」とは、
愛知県瀬戸市で作られているものであり、
「唐津物(唐津焼)」は、
佐賀県唐津市で作られているものになります。
ただ昔は東日本で作られたものを瀬戸物、
一方で西日本で作られたものを唐津物と総称して呼ばれていたようですね。
また関羽は曹操に仕えていた際に「漢寿亭侯」に封じられていたことからも、
「寿亭侯」が関羽を表す言葉だとも分かったりするのは余談です。
そんな瀬戸大将ですが、後年(幕末~明治)に活躍した月岡芳年(浮世絵師)によって、
1865年完成の「百器夜行」の中にも登場していたりします。
瀬戸大将の勝利(主流となった瀬戸物)
そして時代が進んだ平成の時代、
瀬戸物の付喪神と唐津物の付喪神の戦いについて、
「最終的に関羽(瀬戸物)が曹操(唐津物)に勝利したことで、
瀬戸物が主流の焼き物となっていった」とつづった書籍もあるようです。
このあたりは三国志演義の影響もあった可能性はありますね。
そんな瀬戸大将ですが、
水木しげる先生によって誕生した「ゲゲゲの鬼太郎」にも登場していますので、
もし機会がある方がいれば、一度意識して見られるのも一興かもしれません。
ゲゲゲの鬼太郎は何度もリメイクされた作品ですが、
四期の101話の「言霊使いの罠」で瀬戸大将は登場しています。
そんな瀬戸大将ですが、
水木しげるロード(鳥取県境港市大正町)と呼ばれる場所にも、
沢山の妖怪がいる中の一妖怪として瀬戸大将の像が置かれていたりします。
今回は三国時代とは全く関係はないですが、
関羽と曹操を参考に作られた日本の妖怪である瀬戸大将について紹介してみました。