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曹操廟&二十五人の功臣
曹建安二十五年(220年)正月、曹操は病死したわけですが、
後に曹操の廟庭に魏の功臣として二十五人の者達が祀られる事となります。
一度目は曹叡の時代(青龍元年(233年))に三名が祀られ、
二度目は曹芳の時代(正始四年(243年))に二十名が追加され、
その翌年(正始五年(244年))にも一名が追加されています。
そして曹奐の時代(景元三年(262年))に最後の一名が追加され、
合わせて二十五人の人物が曹操の廟庭に祀られることになったのでした。
-青龍元年(233年) 曹叡の治世《合計三名》-
夏五月壬申、詔祀故大将軍夏侯惇、
大司馬曹仁、車騎将軍程昱於太祖廟庭。 「魏志」明帝紀より |
- 夏侯惇(大将軍)
- 曹仁(大司馬)
- 程昱(車騎将軍)
-正始四年(243年) 曹芳の治世《合計二十名》-
秋七月、詔祀故大司馬曹真、曹休、征南大将軍夏侯尚、
太常桓階、司空陳羣、太傅鍾繇、車騎将軍張郃、左将軍徐晃、 前将軍張遼、右将軍楽進、太尉華歆、司徒王朗、驃騎将軍曹洪、 征西将軍夏侯淵、後将軍朱霊、文聘、執金吾臧霸、破虜将軍李典、 立義将軍龐徳、武猛校尉典韋於太祖廟庭。 「魏志」斉王紀より |
- 曹真(大司馬)
- 曹休(大司馬)
- 夏侯尚(征南大将軍)
- 桓階(太常)
- 陳羣(司空)
- 鍾繇(太傅)
- 張郃(車騎将軍)
- 徐晃(左将軍)
- 張遼(前将軍)
- 楽進(右将軍)
- 華歆(太尉)
- 王朗(司徒)
- 曹洪(驃騎将軍)
- 夏侯淵(征西将軍)
- 朱霊(後将軍)
- 文聘(後将軍)
- 臧覇(執金吾)
- 李典(破虜将軍)
- 龐徳(立義将軍)
- 典韋(武猛校尉)
-正始五年(244年) 曹芳の治世《合計一名》-
冬十一月癸卯、詔祀故尚書令荀攸于太祖廟庭。
「魏志」斉王紀より |
- 荀攸(尚書令)
-景元三年(262年) 曹奐の治世《合計一名》-
是歳、詔祀故軍祭酒郭嘉於太祖廟庭。
「魏志」陳留王紀より |
- 郭嘉(軍祭酒)