「魏公國勧進奏(魏公国勧進奏)」
「魏公國勧進奏」は建安十八年(213年)に、
曹操が魏公になるように臣下の者達が勧めたものになります。
ちなみに「魏公國勧進奏」については、
「魏志」武帝紀の注釈「魏書載公令」に記載されているものになります。
於是中軍師陸樹亭侯荀攸、前軍師東武亭侯鍾繇、左軍師涼茂、右軍師毛玠、平虜將軍華郷侯劉勳、建武將軍清苑亭侯劉若、伏波將軍高安侯夏侯惇、揚武將軍都亭侯王忠、奮威將軍樂郷侯劉展、建忠將軍昌郷亭侯鮮于輔、奮武將軍安國亭侯程昱、太中大夫都郷侯賈詡、軍師祭酒千秋亭侯董昭、都亭侯薛洪、南郷亭侯董蒙、關内侯王粲、傅巽、祭酒王選、袁渙、王朗、張承、任藩、杜襲、中護軍國明亭侯曹洪、中領軍萬歲亭侯韓浩、行驍騎將軍安平亭侯曹仁、領護軍將軍王圖、長史萬潛、謝奐、袁霸等勸進曰。
これと似たようなのが
「魏公卿上尊号奏(公卿上尊号奏)/220年」ですね。
これは臣下の者達が、
漢王朝から禅譲を受けるように曹丕に勧めたものになります。
「魏公國勧進奏(三十名)」
- 荀攸(中軍師・陵樹亭侯)
- 鍾繇(前軍師・東武亭侯)
- 涼茂(左軍師)
- 毛玠(右軍師)
- 劉勲(平虜将軍・華郷侯)
- 劉若(建武将軍・清苑亭侯)
- 夏侯惇(伏波将軍・高安侯)
- 王忠(揚武将軍・都亭侯)
- 劉展/鄧展(奮威将軍・楽郷侯)
- 鮮于輔(建忠将軍・昌郷亭侯)
- 程昱(奮武将軍・安国亭侯)
- 賈詡(太中大夫・都郷侯)
- 董昭(軍師祭酒・千秋亭侯)
- 薛洪(都亭侯)
- 董蒙(南郷亭侯)
- 王粲(関内侯)
- 傅巽(関内侯)
- 王選(祭酒)
- 袁渙(祭酒)
- 王朗(祭酒)
- 張承(祭酒)
- 任藩(祭酒)
- 杜襲(祭酒)
- 曹洪(中護軍・国明亭侯)
- 韓浩(中領軍・万歳亭侯)
- 曹仁(行驍騎将軍・安平亭侯)
- 王図(領護軍将軍)
- 万潜(長吏)
- 謝奐(長吏)
- 袁霸(長吏)
官職や侯の記載の違いについて
ただ上のように並べて思う事が一つありますね。
正史の内容でも「伝」によって内容が矛盾していたり、
誤記があったりするところも含めて陳寿の「三国志(正史)」ですが、
官職が地味に違ったりしている所が多いのは個人的に気になります。
例えば夏侯惇伝には「高安郷侯」とあるのに対して、
ここでは「高安侯」であったり、
賈詡伝では「都郷侯」ではなく「都亭侯」であったりと・・・
こういうのが実際比較すればするほど出てきたりします。
ちなみにこの時代の序列は次のような感じです。
王>公>侯>伯>子>男>県侯>卿侯>亭侯>
後は個人的にややこしいと思うのが「祭酒」ですね。
ざっくりいう所での軍師的な立ち位置にあたるのが「祭酒」ですが、
「軍祭酒」や「丞相軍祭酒」といった様々な呼び名がある点です。
- 董昭(軍師祭酒)→軍祭酒(董昭伝「太祖表封千秋亭侯、轉拜司空軍祭酒」)
- 袁渙(祭酒)→丞相軍祭酒(袁渙伝「後徵為諫議大夫、丞相軍祭酒」)
- 王朗(祭酒)→軍祭酒(王朗伝「魏國初建、以軍祭酒領魏郡太守」)
- 張承(祭酒)→丞相参軍祭酒(張範伝「「魏國初建、承以丞相參軍祭酒領趙郡太守」)
- 杜襲(祭酒)→丞相軍祭酒(杜襲伝「太祖以為丞相軍祭酒」)
まぁ小さな問題と言えば小さな問題ですし、
三国志を楽しむという上では、
そこまで気にしなくて良い問題かもしれませんが・・・