連環の計
「連環の計」といえば、三国志の世界に登場する計略で、
王允・貂蝉による「美女連環の計」&龐統による「連環の計」の二つが出てきます。
どちらも正史に登場しているという計略ではありませんが、
三国志演義に登場している計略で、
三国志を知ってる方ならば、一度は目にした可能性が高い計略になりますね。
二つの「連環の計」を軽く説明すると、
王允・貂蝉による「美女連環の計」は、
貂蝉が「女の武器」を用いて董卓と呂布を仲違いさせた計略で、
龐統の「連環の計」は、
かの有名な赤壁の戦いで登場する計略になります。
美女連環の計(貂蝉)
「美女連環の計」が登場するのは、
董卓が朝廷を掌握し、独裁政治が行われていた頃になります。
王允は養女であった貂蝉の協力もあって、この計画に乗り出します。
貂蝉は己の美貌を最大限の武器にして、
董卓と呂布を自分の虜にしてしまいます。
そして貂蝉の演義に踊らされる董卓と呂布でしたが、
最終的に大きな嫉妬を覚えた呂布は、
主君であった董卓を殺害してしまうのでした。
貂蝉という女性は三国志演義に登場する女性ですが、
正史にも貂蝉の元ネタになったであろう女性は存在しています。
それは「呂布が董卓の侍女と密通していた」
という記録が残っているからですね。
呂布が董卓を殺害したのは事実ですし、
正史の記録をうまく利用したのが三国志演義という物語だったのです。
ちなみにその後の貂蝉は、呂布の妾となったとされています。
ただ貂蝉という女性には謎も多く、
「自殺説」「貂蝉≒杜氏説」「故郷へ帰った説」「益州説」など、
他にも数多くの逸話が残ってる女性でもありますね。
「中国四大美女」のなかにも、
唯一の架空の人物でありながらノミネートされているのも不思議です。
連環の計(赤壁の戦い)
曹操が天下統一へと邁進した戦いが荊州進出であり、
その先にある「赤壁の戦い」でもあります。
曹操は孫権と劉備連合軍と赤壁の地で対峙しましたが、
その時に用いられた計略として有名なのが、
黄蓋の「苦肉の計」ですね。
これと合わせて使われたのが、
龐統の「連環の計」なのです。
「苦肉の計」と「連環の計」の二つが合わさる事で絶大な効果を生み出し、
結果として赤壁の大勝利へと繋がります。
曹操軍の兵士は、陸地での戦争には慣れていましたが、
川の上での戦争には不慣れで、船に乗るだけで船酔いする者が後を絶たず、
「今の現状では戦う以前の問題である。」
と曹操自身も頭を悩ませていました。
一方の周瑜の悩みは、
「今の現状では数隻に火がついたとしても、
それが他の船に広がる事はない・・・」
という問題でした。
そこで周瑜側の人間だった龐統が、
曹操陣営に「連環の計」をしかけるべく訪れたのでした。
龐統の名は曹操もよく知っており、龐統は大歓迎で迎え入れています。
そして曹操は兵士らが船酔いに苦しんでいることを龐統に相談したわけです。
龐統はその現状を既に知っていましたが、
相談を受けて初めて知ったかのような反応で対応し、
ここで持ち出したのが、船同士を鎖でしっかりと繋ぐという
「連環の計」だったわけです。
これにより船はしっかりと安定し、
船揺れが大きく抑えられたことで船酔いする者はほとんどいなくなりました。
そして黄蓋らが火攻めの攻撃を開始すると、
火は曹操の大船団に燃え広がり、長江の藻屑と消えてしまうのでした。
これにより孫権・劉備軍は大勝利をおさめ、
これをきっかけに時代は天下三分へと移っていく事となります。