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後漢書東夷伝
昔の日本、つまり「倭」に関する事が記載されており、
有名な文献に「漢書地理志」「後漢書東夷伝」「魏志倭人伝」があります。
三国志の時代の頃の倭について記載されているのが、
「魏志倭人伝」になりますが、
それより少し前の倭について記載されたのが、「後漢書」というものになります。
その中に中国の東方に住んでいる民族について記載されたものが残っており、
そこに倭(日本)に関する記述が見られます。
後漢時代の日本の話なので、
1世紀から2世紀(1年〜200年)の頃の話ですね。
ちなみにですが、「後漢書」は後漢の時代に書かれたものだと思うかもしれませんが、
「後漢書」は「魏志倭人伝」よりも後の時代に書かれたものになります。
実際の正確な完成された年月日は不明ですが、
南北朝時代の南朝(宋の時代)の范曄によって作られた事だけはわかっています。
なので紀元前5世紀頃の前半ぐらいになりますね。
後漢王朝は、25年に劉秀(光武帝)によって開かれ、
220年に曹操の息子である曹丕に皇帝の位を奪われるまで続いたので、
それから200年ぐらい後に書かれた文献です。
ちなみに卑弥呼が登場する「魏志倭人伝」は、
三国志正史を書いた陳寿によって記載されたもので、
呉が滅亡した280年より後に書かれたものだと言われています。
なので時代の流れから言うと、
漢書地理志→後漢書東夷伝→魏志倭人伝の順ですが、
作成された順は、漢書地理志→魏志倭人伝→後漢書東夷伝ということになります。
前漢と後漢での東方についての大きな違い
前漢は劉邦が建国した国で、
後漢は劉邦の子孫であった劉秀が復興させた国です。
大きな感覚で言うと、前漢と後漢をまとめて「漢」というんですが、
時代の中で分かりやすく区別している感じですね。
ただ前漢の時代と後漢の時代を比べた場合、
中国の東方には大きな違いが出てきた時でもありました。
前漢の時代には、
東方には強い国と見なされたところはありませんでしたが、
後漢の頃には朝鮮半島の北部では、
夫余・高句麗・東沃沮・濊・挹婁などの国が興り、
その中で後に高句麗が力を持ち始め、後漢と衝突したこともあります。
また朝鮮半島南部では馬韓・辰韓・弁辰という三国が成立しており、
日本にも奴国・邪馬台国などの国が現れてきます。
後漢の時代というのは、朝鮮半島だけでなく、
日本でも大きな転換点を迎えている時だったんですよね。
「後漢書東夷伝」の倭に関する内容
「後漢書東夷伝」に記載されている倭に関する記述の大半は、
はっきり言ってしまうと、「魏志倭人伝」に書かれてある内容を要約したものが大半です。
ただその中で、「魏志倭人伝」に書かれてない内容が、
記載されている場所が次の文書です。
建武中元二年倭奴国奉貢朝賀使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬 安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見 |
これはどういう意味かと言うと、
「建武中元二年(57年)に倭の奴国が貢物をもって朝賀し、
その使者は自らを大夫(奴国王の片腕)と称していた。
奴国は、倭国の最南端に位置する。
光武帝(劉秀)は、その奴国の使者に奴国王の印綬を渡した。
そして永初元年(107年)に、
倭国王であった帥升が160人の奴隷を安帝に献上し、朝見を願った。」
という意味になります。
「漢委奴国王」と記載された金印
この上の文章で注目すべき点は、
「倭」という名前で日本が登場したのはこれが初めてであり、
なおかつ、後漢の僻地である楽浪郡への使者ではなく、
後漢の都であった洛陽まで倭の使者が訪問していることです。
そしてこの時に光武帝(劉秀/後漢の設立者)によって貰った印綬が、
福岡の志賀島で発見された金印ですね。
「漢委奴国王」と記載されたもので、
江戸時代にその地域の農民によって偶然発見されています。
学校で一度は習った事ある人が大半なんじゃないかと思いますね。
それぐらい有名なものです。
また奴国は倭国の最南端と記載されていますが、
後漢当時、楽浪郡に使者を出していた倭の国の中で、
一番遠くから訪れていたのが奴国であったので、
倭国の最南端の場所に位置していたような推測書きがされています。
実際は九州北部の場所に位置していたのが奴国なので、
比較的に楽浪郡からは近い位置にあったんです。
まぁこれはあくまで今現在そうだと思われている説に過ぎず、
はっきりと確定しているわけではありません。
おそらく現在の長崎県・佐賀県・福岡県といった九州北部のいくつもの小国らが、
楽浪郡に使者を送っていたのでしょうね。
実際のところ、奴国はただの小国に過ぎず、
そこで一番偉い人も王など名乗っていなかったと思われるので、
中国から金印を頂いてから奴国王なる呼び方が生まれたんじゃないかと想像できてしまいます。
奴国王の遺跡
福岡平野がある福岡県春日市の須玖・岡本遺跡というのがありますが、
その遺跡の中に奴国王の王墓とみられるものが見つかっています。
奴国王の墓は、巨石が置かれており、
銅鏡(前漢時代のもの)や銅剣などが発見されています。
- 銅鏡32枚以上
- 銅剣2本
- 銅矛4本
- 銅戈1本
- 勾玉・管玉等
この王墓は偶然的に発見されたもので、
もともとここの土地の所有者であった吉村源次郎氏が、
家屋の新築の為に邪魔に思っていた巨石を動かしたことで発見されました。
おそらく全盛期の頃の奴国は、
志賀島から福岡平野あたりまでの支配権があったのでしょう。
ただこの王墓が金印を頂いた頃の奴国王なのか、
はたまたそれより以前の奴国王の墓なのか、未だにはっきりとした結論が出ていないのも現状です。
倭国王≒伊都王?
「後漢書東夷伝」に奴国の印綬の事が記載されてから、
50年後の107年に倭国王であった帥升が、奴隷160人を安帝に献上したと書かれています。
50年前に栄えていた奴国は、この頃には既に衰退してしまっており、
代わりに伊都国が台頭し、奴国含めこの周辺の小国を従えていた可能性があると思います。
そして「後漢書東夷伝」に記載されていた「倭国王」といわれた帥升は、
この伊都国の王だったのかもしれません。
この伊都国は、現在の福岡県糸島市を中心とした国であり、
後漢の安帝は、金印を過去に渡した奴国などを従えていた伊都国を
「倭国王」として記録に残したんじゃないでしょうか!?
まぁこのあたりは推測が入ってしまっていますが、
その可能性は十分にある気がします。
ちなみに金印に書かれた漢委奴国王の委奴を「いと」と読む説もありますし、
もしその説が正しかった場合は、
志賀島の金印はそもそも奴国に与えられたものではなくなりますけどね。
奴国も伊都国も志賀島から近くに位置していたと言われているので、
そうなるとどちらが金印を受け取っていたとしても不思議ではないです。
伊都国の遺跡
伊都国が栄えたとされている福岡県糸島市前原町では、
三雲・井原遺跡という二人の王墓の遺跡が発見されています。
ここからも多くの出土品が出てきており、
現在では伊都国の王都として国指定史跡に認定されています。
- 銅鏡57枚
- 銅剣1本
- 銅矛2本
- 銅戈1本
- 銅剣・銅矛等の武器
- 勾玉・管玉等
この三雲・井原遺跡にある墓は、
1世紀末頃の墓と言われているので、もし伊都国が倭国王だった場合、
帥升の代よりも前の王様のものということになります。
そう考えた場合、帥升の墓が今現在もおそらく糸島市のどこかに眠っているのでしょう。
まぁあくまで伊都国が、
「後漢書東夷伝」に記載されている倭国王だった場合ですけどね。
伊都国が倭国王でなかったならば話になりませんが、
当時の中国にとって今の日本全土ではなく、
九州の特に北部を倭国とみなしていたような感じがあるので十分に可能性はあると思います。
邪馬台国の卑弥呼
「後漢書東夷伝」には倭国大乱の事も記載されていますが、
これは「魏志倭人伝」の方にも記載されています。
最初にも述べましたが、
「魏志倭人伝」を真似して「後漢書東夷伝」が記載されているので、
ここでは簡単に見ていきたいと思います。
後漢書東夷伝にも記載がある倭国大乱は、
倭の中で何年にもわたって沢山の争いが起こっており、
後に争っていた者達が未婚で鬼道を用いていた卑弥呼を王に祭り上げて、
邪馬台国という国を作ったみたいなことが書かれています。
実際卑弥呼の邪馬台国がどこにあったのかは、
現在でも不明ですが、以下の2つが長らく有力視されていますね。
- 九州説
- 機内説
もし九州北部説が正しければ、
卑弥呼率いる邪馬台国と伊都国が争ったのでしょうね。
そして卑弥呼率いる邪馬台国が勝利したという構図が生まれるわけなんですが・・・
ただ最近では邪馬台国四国説なるものも出てきており、かなり面白いです。
実際四国説はいくつかありますが、大きく二つが候補にあがっています。
- 阿波徳島説
- 四国山上説
個人的には、四国山上説の方がすっきりしますね。
四国山上説は「魏志倭人伝」に記載されている証拠を、
大杉博氏が一つずつかき集めていきついた説です。
興味があれば一度読んでみるとよいかもしれません。
ただその場合、奴国は最南端と書かれているので、
上の地図でいうともう少し下に位置するような気はしますけども、まぁ誤差の範疇でしょう。
でも九州北部に奴国があったとされるよりも、
位置的にはしっくりくる場所にあるのは間違いないです。
九州北部はどうしても違和感がありすぎるのも間違いありませんから・・・
邪馬台国の場所を見つけ出す為にこれまでに様々な説が生まれていますが、
一つ一つ検証していくとどれも可能性が出てきますし、
これまで言われてきた九州説・畿内説ではなく、
案外四国説が正しいのかもしれませんし、
このあたりは頭を柔軟にして今後も見守っていきたい問題でもありますね。