「占い師」「予言者」といって、
まず三国時代に思い浮かぶ人物として、
「魏」には管輅、
「呉」には江南八絶の趙達・劉惇・呉範・宋寿などが思い浮かぶかもしれません。
一方の「蜀」であれば、周羣や張裕が一番有名かもしれませんね。
しかし今回紹介する趙直も蜀を代表する夢占いの達人になります。
横山光輝三国志を呼んだことがある人ならば、
「この人が趙直なんだ!」
と分かるような逸話もきちんとあったりします。
「夢占い」を得意とした趙直
趙直の出生については謎が多く、
趙直の両親すらもよくわかっていません。
ただ「三国志(正史)」にも蜀漢に仕えた人物として登場しており、
有名な人物の夢占いを的中させてきたことで現在にまで名を残した人物になります。
ちなみに占いといっても様々な占いの方法があります。
上で紹介した江南八絶の趙達は九宮一算を用いた占いを、
劉惇は天文占いを、呉範は風占いを、
宋寿は夢占いを得意としていました。
趙直はそんな中でも、宋寿と同じく夢占いを得意としていたのです。
趙直の占いが正史に登場するのは、
何祗・蔣琬・魏延の三名についてですが、
やはり「三国志演義」にも登場している魏延の逸話がやはり一番有名でしょう。
そんな一番知名度が高いであろう魏延の逸話から見ていきたいと思います。
「魏延」の夢占い
横山光輝三国志(59巻112P・113P・114P)より画像引用
234年に諸葛亮は、
第五次北伐時に五丈原にて病没するわけですが、
ここで登場するのが趙直でした。
魏延はこの時に不思議な夢を見ています。
どういう夢かというと、
「頭に角が生えた」というような夢内容でした。
魏延はこの夢が大変気になったようで、
夢占いで有名だった趙直に対して夢の内容を打ち明かします。
趙直はこの夢が魏延にとって良くない夢であったにも関わらず、
「麒麟という伝説上の生き物は、
角を頭に携えています。
しかし麒麟がその角を武器として使うことはありません。
ということは、魏延将軍の名を恐れて、
魏軍は将軍と戦うことなく撤退していくことでしょう」と告げます。
これを聞いた魏延は満足し、気持ちが晴れたのでした。
しかしこれは、
趙直が魏延についた嘘でした。
この話にはまだ続きがあり、魏延の陣営を後にした際に、
近者に対して本当の夢内容の真実を打ち明かします。
『魏延に言ったのは嘘の占いである!
「角」という漢字は「刀を用いる」と書いて角と呼ぶ。
頭の上に刀が用いられるのだから、
近いうちに首が刎ねられることを意味している』
と本当の内容を明かしたそうです。
その後は諸葛亮の座を争って楊儀と対立し、
馬岱によって漢中で討ち取られることになったのは有名な話ですよね。
これにより魏延だけでなく、
三族にわたって魏延の一族は処刑されています。
ただそもそもの話として趙直が魏延に対して、
嘘の夢占いの内容を伝えたというのは何故でしょうかね!?
考えられる点としては、
単純に趙直が魏延を好きでなかった可能性です。
他には趙直が魏延と対する勢力側(楊儀など)の人間で、
魏延に夢占いで呼ばれた際に嘘をつくように言われたなど・・・
まぁそのあたりの真相を突き詰めることは不可能なので、
可能性として推測するしかないわけですけど、
嘘の夢占いを告げられた魏延が、個人的には不憫でならない気はします。
もし本当に内容を教えてもらってたとしたら、
その後の行動も変化しており、
謀反人として殺されなかった可能性も少なからずは・・・
蒋琬の夢占い
諸葛亮亡き後の蜀を支えた蒋琬に対しても、
趙直は夢占いをやったことがありました。
これはまだ蒋琬が劉備に従って入蜀し、
広都県長に任じられた時の話になります。
この頃の蒋琬は酒を飲んでは仕事をしないことも多かったようで、
たまたまこれを目にした劉備が激怒して、
趙直を県長の職を罷免したことがありました。
そもそも蒋琬は本来処罰されそうになったのですが、
諸葛亮の取り成しもあったことで罷免程度で済んだといいます。
罷免されることになった蒋琬は、その夜に不思議な夢を見ます。
その夢内容は「一頭の牛の頭が門前に転がっており、
その首から血が垂れ流されていた」というものでした。
この夢を見た蒋琬は、
広都県長の職を罷免されたばかりということもあり、
「この夢は非常に縁起の良くない夢ではないか!?」
と大変不安に思ったそうです。
気が気でなかった蒋琬は趙直を呼んで、
自分が見た夢の吉凶を占ってもらったのでした。
蒋琬の心配とは裏腹に、
趙直は蒋琬が見た夢は非常に良い夢であることを告げます。
そして蒋琬が何故良い夢なのかを聞くと、
『「牛の血が流れていた」というのは、
蒋琬殿の未来が明るい事を示しているのです。
そもそも「牛の頭」には牛の角と鼻があり、
角と鼻の形を線で引くと、「公」という漢字が浮かびあがのですが、
これは蒋琬殿が公の位まで出世する事を意味しています。
本当にめでたい吉夢です。』と趙直は答えたのでした。
その後の蒋琬は、罷免されたばかりだというのに、
すぐに什邡県令として復職することとなります。
また劉備が漢中王を名乗ると、尚書郎に任じられており、
その後も順調に出世していきます。
諸葛亮名が亡くなった後も出世につぐ出世で、
最終的に大将軍(軍事面での最高職)・録尚書事(行政面の最高職)・益州刺史(地方行政の最高職)を全て兼任するほどでした。
まさに趙直が夢占いをした通りの結果となったわけですね。
何祗の夢占い
最後に紹介するのは、何祗という人物の夢占いについてです。
魏延や蒋琬に比べると、
「何祗って誰?」って思う人もいるかもしれませんが、
楊洪によって才能を見出され、
諸葛亮にも大変高い評価を受けた人物でした。
何祗がその高い能力を見込まれて汶山太守に任じられた際は、
異民族の者達の心を掴み、優れた統治を行ったりもしています。
何祗が広漢太守へ任じられて汶山を去ると、
「何祗殿を再度汶山太守にしてくれ!」
と反乱を起こしたほどでした。
しかし何祗を役目上、
広漢太守から戻すわけにいかなかったこともあり、
「何祗の親族を太守にするから勘弁してくれ!」
と異民族の説得にあたったといいます。
「何祗の親族が太守を務めてくれるのなら・・・」
と矛を収めたそうです。
そんな何祗に対しての趙直の夢占いは次のようなものでした。
これは何祗がまだまだ世間に名が通っていなかった頃の話になるんですが、
「井戸の中から桑が生えている」
という夢を見た際に趙直に夢占いをしてもらったことがありました。
これに対して趙直は、
『桑というのはそもそも井戸から生えるようあものではありません。
だから井戸から植え替えをしてあげないといけないものです。
だからこの夢は何祗殿が将来出世することを意味しています。
そしてその夢で見た桑(桒)というのは、
上に「十」と「四」があり、これは四十を意味しており、
はたまた四十の下には「八」の漢字があり、
つまり何がいいたいかというと、何祗殿は48歳までしか生きられないでしょう』
と申し訳なさそうに返したそうです。
この夢占いを聞いた何祗は、
「それだけの寿命が残っていれば全く問題ない!」
と笑って感謝の言葉を述べたと言います。
その後の何祗は、
楊洪からの推薦により取り立てられ、
汶山太守・広漢太守・犍為太守を歴任し、
趙直の占い通り48歳でこの世を去ったのでした。