陶弘景は六朝(南朝)時代の人物になります。 ちなみに六朝とは三国時代の孫呉から、 東晋・宋・斉・梁・陳の六つの王朝を示しており、 陶弘景はこの中の梁の人物であり、茅山派(道教)の開祖としても知 […]
「袁紹」の記事一覧
見事な策略で二度までも曹操を欺いた李孚(りふ)
曹操と袁紹が官渡の戦いで激突し、 曹操が勝利をおさめたことで、流れは曹操の時代へと移っていきました。 その後、袁紹が失意のうちにこの世を去り、 袁紹の遺児であった袁譚・袁尚が後継者争いを起こし […]
袁一族として最後の意地を見せつけた高幹
袁紹亡き後、袁譚と袁尚が後継者争いを起こしたことで、 名門袁家は没落の一途を辿っていきます。 そんな中で「袁家最後」の意地を見せつけたのが高幹だといっていいでしょうね。 高幹 -袁紹の甥- 高幹は袁紹に仕え […]
逢紀(ほうき) -冀州奪取の立役者-
逢紀(ほうき) 若かりし頃の逢紀は何進に仕えていましたが、 同じく何進に仕えていた袁紹と良好な関係を築いていたのもあり、 何進が亡くなって董卓が台頭してくると、それを機に袁紹に仕えるようになります。 &nb […]
審配 -袁家滅亡の一旦を担ぎながらも、名将として名を残した忠臣-
韓馥から袁紹に乗り換えた審配 審配は当初韓馥に仕えていましたが、 191年に袁紹が自分の領地を獲得すべく韓馥から冀州を奪うと、 そのまま袁紹に仕える事になります。 ちなみにこの時に田豊や沮授も […]
袁譚・袁煕・袁尚 -袁家滅亡を加速させた袁紹の遺児達-
曹操が官渡の戦いで袁紹を打ち破った事で、 曹操が初めて袁紹に対して優位的な立場になるわけですが、 官渡の戦いに勝利したとはいえ、 曹操は袁紹が死ぬまで警戒を弱めることはありませんでした。 &n […]