夷陵の戦いで、劉備が陸遜に惨敗をしてしまうわけですが、 その報告を受けた諸葛亮(孔明)が、 「あぁ、もし法正が生きていたならば、呉への遠征を止める事ができただろう。 もし仮に止められなかったとしても、こんな […]
「蜀」の記事一覧(9 / 17ページ目)
三国志演義で姜維の引立て役にされてしまった費耀(費瑶/ひよう)
費耀(費瑶/ひよう) 費耀の名が正史に登場するのは、 魏で張進(ちょうしん)が反乱が起こした際のことでした。 曹操が死んで曹丕が跡を継いで間もない時です。 張進は涼州張棭郡の出身でしたが、 そ […]
呉懿の後釜的な存在であり、任侠精神を内に秘めていた伊達男「呉班(ごはん)」
呉班は従兄弟の呉懿(呉壱)と同様に、 劉焉・劉璋に仕え、劉備が入蜀を果たすと劉備に仕えています。 劉備に仕えてからの呉班は、順調に出世し、 三国志末期の蜀を支えた人物に成長していきます。 呉懿 […]
劉焉・劉璋の親戚であり、劉備の親戚でもあり、優秀だったのに個人伝が残されなかった呉懿(ごい/呉壱)
呉懿は劉焉・劉璋親子に仕え、 劉備が入蜀を果たすと、劉備に仕えた人物です。 非常に能力が高かったはずなのに、 三国志正史に個人伝が立てられなかった為に、 彼の功績などがほとんど現在に伝わっていない残念な武将 […]
樊氏(はんし) -正史にも記載が残る美貌の持ち主-
樊氏(はんし/未亡人) 赤壁の戦いで、劉備・孫権軍が曹操に勝利すると、 劉備は曹操が支配する荊州南部の四郡を攻め落としにかかるわけですが、 この時に桂陽けいようを治めていたのが趙範という人物でした。 &nb […]
譙周(しょうしゅう)著書の「仇国論」はどんな内容だったの?
「仇国論」とは? 「仇国論」は蜀に仕えた譙周が書いたもので、 ここに書かれている内容は、過去の事例を用いながら構成されています。 そして譙周は、この「仇国論」を通して、 何度も北伐を行い、国を疲弊させている […]
劉禅に降伏を勧めた陳寿と羅憲の師、譙周(しょうしゅう)
譙周(しょうしゅう) 譙周は、益州巴西郡の出身で、 貧しい家の出身でしたが、学問に励んでいました。 そして譙周は蜀を代表する儒学者へ成長していくことになります。 譙周の元で学んだ者に、陳寿や羅憲がいたりしま […]
閻行(えんこう) -馬超を一騎打ちで殺害寸前まで追い込んだ豪傑-
閻行(えんこう/彦明)-韓遂配下- 閻行は涼州金城郡の出身で、韓遂に仕えた人物になります。 184年に黄巾の乱の勃発により中央が大きく混乱している中になって、 閻行は韓遂の部下として西方を荒らしまわっていま […]
劉備・関羽・張飛の「義兄弟の契り」の逸話三選
一般的な「義兄弟の契り」 劉備・関羽・張飛による、「義兄弟の契り」は有名な話ですが、 「三人が義兄弟の契りを結んだ」 と正史(陳寿「三国志」)の中に明記されているわけではありません。 &nbs […]