三国時代を幕開ける反乱、それは黄巾の乱。 そして黄巾の乱の首謀者張角、 それに張角の二人の弟である張宝・張梁! 後漢末期の政治に苦しめられた民衆が、 張角・張梁・張宝に呼応して参加したことで全 […]
曹操が赤壁で敗れた原因は、疫病(住血吸虫病・チフス)のせい?
赤壁の戦いと言えば、曹操が南方攻略の為に侵攻を開始し、 孫権・劉備連合軍に赤壁の戦いで惨敗を喫してしまったというのが一般論です。 漫画・映画・ドラマなどでも良く取り上げられる戦いであり、 曹操・劉備・孫権に […]
動乱を駆け抜けた後漢最後の皇帝、献帝(劉協)
後漢末期の動乱の時代に振り回され、 最終的に後漢最後の皇帝となってしまった献帝(劉協)。 董卓・呂布・李傕・郭汜・曹操と様々な群雄に利用された皇帝でもあるものの、 決して暗愚な皇帝だったわけではなく、 &n […]
曹操が後世に伝えた「九醞春酒法(美味しいお酒の作り方)」
九醞春酒法(きゅううんしゅんしゅほう) 曹操は酒の醸造法を発明した人物だと言われたりしていますが、 それは実際どのようなものだったかについて触れていきたいと思います。 曹操が酒の醸造法を発明したなどと言われ […]
牽招(父)は劉備の「刎頸の友」、牽弘(子)は蜀の「破壊者」
牽弘けんこうの父である牽招は、 若かりし頃に劉備と「刎頸の交わり」を結んでいます。 「刎頸の交わり」は「刎頸の友」とも呼ばれ、 「お前の為ならば首を討たれても本望だ!」といった意味になりますね。   […]
劉備に「刎頸(ふんけい)の友」と言わしめた牽招(けんしょう)
三国志演義で劉備と義兄弟の契りを結んだり、 正史の方でも寝食を共に過ごす中で兄弟のようになっていった関羽や張飛は有名です。 ただ劉備が「お前の為なら自分の首が刎ねられても問題ない」 と思えるぐらいに信頼でき […]
「涼州(西涼)の雄」馬騰
三国志演義で蜀の五虎将軍と称された馬超の父親であり、 後漢末期の乱れた時代に、 馬一族の礎を築いた馬騰の生涯について見ていきたいと思います。 馬騰(ばとう) 馬騰は涼州扶風郡の出身で、身長も八尺(約185c […]
最後にして最大の見せ場を作った馬岱
馬岱と言えば、関羽・張飛・趙雲・黄忠・馬超などがいた時代は、 ほとんど空気に近いような立ち位置でしたが、 次々と主だった人物が亡くなっていくにつれ、 蜀にとって欠かせない人物に成長していくようなイメージがあ […]
良くも悪くも自分の信念のもとに乱世を生き抜いた馬超
西涼の雄であった馬騰の長男として産まれた馬超ですが、 馬超は正史と三国志演義では、真逆のような生涯を送っています。 三国志演義の馬超を「明」とすれば、正史の馬超は「暗」といっていいかもしれません。 &nbs […]