三国志の世界では、同姓同名の人物が複数います。 李豊もその一人です。 蜀の李豊の名前は知ってるが・・・ もしくは魏の李豊は知ってるが他は知らないという人も多いのではないでしょうか? 仲の李豊は知ってるが他は […]
才能を高く評価されるも、自己評価が高すぎて全てを失った廖立 〜孔明の死に涙した男〜
廖立(りょうりつ) 廖立は荊州の武陵郡の出身で、 劉備が荊州南部を制圧した際に仕えています。 また劉備は廖立を高く評価し、 長沙太守であった金旋の後釜として任命しています。 廖立は仕えて早々、大抜擢されたの […]
公明正大で、人を見る目に非常に長けていた楊洪
楊洪(-季休-ようこう) 楊洪は益州犍為郡の出身で、 若い時は学問が非常に大嫌いな人物だったといいます。 また公明正大なだけでなく、忠義にも厚い人物でもあり、 人物の鑑識眼にも長けていました。 […]
友人である馬謖を庇って罪に問われた学問の師、向朗
向朗(しょうろう) 向朗はもともと荊州出身で、 学問が好きで、司馬徽の元で学んでいます。 その為、司馬徽の元で同じく学んだ徐庶や龐統とも仲が良かったそうです。 また荊州出身の馬良や馬謖とも良い関係を築いてい […]
文武に優れ、南方制圧で異民族に慕われた馬忠
馬忠、劉備と出会う 馬忠はもともとは「狐篤」という姓名であったが、改名して馬忠に変わってます。 そんな馬忠ですが、劉備が夷陵の戦いで敗北すると、 5000人を連れて劉備の援軍へかけつけています。   […]
諸葛亮の留守を狙った「黄元の乱」&見事な対応をした楊洪
黄元の反乱 黄元は劉備に仕えていた人物ですが、 出生や経歴などについてはよくわかっていない人物になります。 ちなみに黄元の名前が登場するのは漢嘉太守であった頃であり、 劉備が夷陵の戦いで大敗を喫した後になり […]
死しても魏に降らなかった忠義の外交官、馮熙(ふうき)
馮熙(ふうき)の先祖は、光武帝に仕えた馮異である 呉に馮熙という外交官がいました。 まずは馮熙を語る前に、馮熙の御先祖様について少し触れたいと思います。 なぜ御先祖様を先に語るのかというと、 結構な大人物だ […]
呉の初代丞相になった人物なのに、三国志正史に『伝』も立てられず、三国志演義にも登場しなかった孫邵(そんしょう)
孫邵(そんしょう) まず「孫邵」って誰って思う人も多いかもしれませんけど、 孫権が皇帝になった際に、初代丞相に任命されたのが孫邵なのです。 蜀でいえば、 諸葛亮の立場に任命されたのと同じわけで […]
孫権からの信頼も厚かった濡須口の守護神、朱桓
朱桓(しゅかん) 個人的に好きな武将に朱桓がいるんですが、 この朱桓、知名度的にはやっぱり陸遜とかそういう人物と比べると落ちちゃうんですが、 今回はそんな朱桓について見ていきたいと思います。 […]
評価が高かった割に、活躍らしい活躍がほとんど見られない李厳
李厳(りげん) 李厳は最初劉表に仕官しています。 そんな李厳が、益州に近い所の県令を任されていた時の事なんですが、 劉表死後、曹操が荊州へ攻め込んできます。 劉表死後の後継者争いと曹操が攻め込 […]