若かりし頃の吾粲(ごさん) 吾粲は揚州呉郡烏程県の出身であり、呉の孫権に仕えた人物になります。 「呉志」にも個人伝が立てられている程の人物であり、 虞翻 ・ 陸績 ・ 張温 ・ 駱統 ・ 陸瑁 ・ 朱拠ら […]
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留賛 -雄叫び&歌により勝利をもぎ取り続けた将軍-
留賛(りゅうさん) 留賛は黄巾の乱が勃発した前年の183年に、揚州会稽郡長山県で誕生しています。 留賛は優れだ人物ではありましたが、個人伝がなく、 留賛についての記載は「呉志」孫峻伝の注釈に書かれてある程度 […]
奚熙(けいき) -孫晧死亡のデマに踊らされた佞臣-
孫晧の佞臣の筆頭として、よく名前が挙がるのは万彧だったりしますが、 他にも陳声・張俶・岑昏・何定らといった、 呉を滅亡へと導いた何かしらの要因を作った者達がいたりします。 今回紹介するに奚熙け […]
孫権の娘を二度も娶ったにも関わらず、出生が不明の劉纂
陳寿の著した「三国志」の呉志に名が挙がる人物に劉纂りゅうさんという人物がいます。 この人物の経歴を見る限り、「只者ではない」とは思いますが、 生涯にかけて謎も多く秘めている人物で、 ここでは劉 […]
「天下二分の計」の水軍担当予定だった孫静の次男、孫瑜
孫瑜(そんゆ)とその一族 孫瑜は孫静の次男として誕生します。 孫静は孫堅の弟にあたる人物になりますので、 孫瑜から見た孫策・孫権とは、従兄弟の関係という間柄ですかね。 そんな孫瑜の兄には孫暠そ […]
孫策 -江東制覇を成し遂げた小覇王-
「江東の小覇王」と言われた孫策。 小覇王の「覇王」とは、項羽からきてるのはいわずもがな、 簡単に行ってしまえば「項羽の小さい版」という感じでつけられたのが孫策でした。 まぁ孫策が「江東の小覇王 […]
孫静 -会稽郡攻略を成し遂げた立役者-
孫羌・孫堅・孫静兄弟 孫静は孫鍾そんしょうの末子であり、孫羌・孫堅の弟にあたる存在です。 早くして亡くなった孫羌に関しては、ほとんど資料もないぐらいで、 それに比べたらまだ記録が残されているのが孫堅の弟にあ […]
「漢書地理志」から見た日本
倭についての記載が残る文献 三国志の時代で有名なのは、 「魏志倭人伝」に記載された卑弥呼の魏への朝貢でしょう。 中国から見て、当時の日本は「倭」と呼ばれており、 卑弥呼は邪馬台国という国を治め、国内で勢力を […]