傅彤を父親に持つ傅僉(ふせん) 父親である傅彤ふとうは、夷陵の戦いで敗北した劉備を逃がす為に 殿しんがりを引き受けて討死を果たした人物です。 傅彤の最期は壮絶なもので、多くの兵が次々と討ち取られていく中で、 […]
「忠義」タグの記事一覧
張任 -劉璋に最期の瞬間まで忠義を尽くした将軍-
張任(ちょうじん) 張任は寒門出身(益州蜀郡)の人物で、大変に苦労した人物になります。 「寒門」とは貧しい家の出身という意味で、 それだけで出世することが難しい世の中でもありました。 &nbs […]
蜀漢が正統になった「三国志演義」は朱子学に由来したもの!?
元末明初に成立した「三国志演義」は、 「水滸伝」「西遊記」「金瓶梅」と並んで、 「四大奇書」と呼ばれるもので、大衆に受け入れられ、大いに読まれたものです。 日本でも陳寿が著した「三国志」よりも、三国志演義の […]
審配 -袁家滅亡の一旦を担ぎながらも、名将として名を残した忠臣-
韓馥から袁紹に乗り換えた審配 審配は当初韓馥に仕えていましたが、 191年に袁紹が自分の領地を獲得すべく韓馥から冀州を奪うと、 そのまま袁紹に仕える事になります。 ちなみにこの時に田豊や沮授も […]
司馬炎の幼馴染みであり、「孝」の道を貫き通した諸葛靚(しょかつせい)
魏では司馬昭が実権を握っていた頃、 魏の皇帝であった三代目曹芳(そうほう)、四代目曹髦(そうぼう)を凌駕しており、 魏で一番偉いはずの皇帝が、臣下であった司馬一族に好き勝手にされている状況でした。 それを見 […]
文聘 -江夏を守り抜いた忠義の士-
文聘(仲業) -劉表・劉琮時代- 文聘は劉表に仕えていた人物で、 荊州北部の守備を劉表から任されていました。 劉表死後は劉琮に仕えることになりますが、 文聘の才能が開花するのは、残念ながら劉表・劉琮時代では […]
高順 -呂布に忠義を尽くした「陥陣営」の異名を持つ猛将-
「陥陣営」高順 呂布に付き従った人物として 後に大活躍する事になる張遼が一番有名なのかもしれませんが、 もしも長く生きていたならば、 張遼同様に大活躍をした可能性のある人物がいました。 &nb […]
劉封の処刑理由は、関羽に援軍を送らず見殺しにした事が原因!?
「三国志演義」劉封の記述 横山光輝三国志(43巻27P)より画像引用 曹操と孫権が手を結んだことで、荊州を失ってしまった関羽だったのですが、 最終的に麦城に追い込まれてしまいます。   […]