傅彤を父親に持つ傅僉(ふせん) 父親である傅彤ふとうは、夷陵の戦いで敗北した劉備を逃がす為に 殿しんがりを引き受けて討死を果たした人物です。 傅彤の最期は壮絶なもので、多くの兵が次々と討ち取られていく中で、 […]
「忠臣」タグの記事一覧
自分の人生を振り返った曹操の「述志令」 ~絶対皇帝にはならない~
建安15年(210年)に、 袁家を滅ぼして華北を統一した曹操に対して、 献帝は武平・陽夏・苦こ・柘しゃ県の四県を曹操に与えようとしたのですが、 曹操は武平県のみを頂いて、残りの三県をお返ししています。 &n […]
劉備に最後まで忠誠を尽くして逝った習珍
傅士仁・麋芳の裏切りもあって、 魏呉に挟み撃ちに合う形で捕らえられて処刑された関羽・関平親子! そんな荊州での戦いの中で、 最後の最後まで劉備に忠誠を尽くした死んでいった人物をここでは紹介します。 &nbs […]
最後にして最大の見せ場を作った馬岱
馬岱と言えば、関羽・張飛・趙雲・黄忠・馬超などがいた時代は、 ほとんど空気に近いような立ち位置でしたが、 次々と主だった人物が亡くなっていくにつれ、 蜀にとって欠かせない人物に成長していくようなイメージがあ […]
厳顔 -三国志演義で何故か「老将」として描かれている将軍-
劉璋に仕えた忠臣として必ず上がる人物に、 厳顔と張任の二人の名が挙げられる事が多いですが、 今回はそんな「忠義の士」としてのイメージが根強い厳顔について見ていきます。 巴郡太守、厳顔(げんがん) 厳顔は益州 […]
魏の高句麗討伐の背景&高句麗討伐を未然に防ぐ事に命を懸けた高句麗の忠臣、得来(とくらい)
魏の高句麗討伐への足場になった公孫淵討伐 魏の曹叡の時代、 遼東半島を支配下に置いていた公孫一族(公孫瓚一族とは別)であった公孫淵が、 魏に反旗を翻し、燕王を名乗り独立する動きを見せます。 しかしこの公孫淵 […]
高順 -呂布に忠義を尽くした「陥陣営」の異名を持つ猛将-
「陥陣営」高順 呂布に付き従った人物として 後に大活躍する事になる張遼が一番有名なのかもしれませんが、 もしも長く生きていたならば、 張遼同様に大活躍をした可能性のある人物がいました。 &nb […]