樊建(はんけん) 樊建は荊州義陽郡の出身であり、劉禅に仕えた人物になります。 251年に樊建は呉への使者として派遣されるのですが、 その時の孫権はたまたま病に伏しており、諸葛恪が代わりに面会し […]
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諸葛亮の「出師の表」の呉版、孫登の「遺言状」
孫登は孫権の皇太子であり、跡継ぎ候補でした。 孫登は聡明な上に、優しさを持った人物で、 多くの人達に愛されていました。 そんな孫登が重病にかかり、明日をも知れぬ命となった際に、 孫権の為に書き […]
「緩兵の計」で合肥新城を諸葛恪から守り抜いた張特(ちょうとく)
252年に呉の孫権が亡くなると、 それにつけ込んで諸葛誕(しょかつたん)・胡遵(こじゅん)が呉へ攻め込みました。 この時、魏の侵攻に対応したのが諸葛瑾の子である諸葛恪でした。 諸葛恪は丁奉・朱 […]
国に殉じた呉最後の丞相、張悌(ちょうてい)
張悌(ちょうてい) 張悌は荊州襄陽郡の出身で、孫晧によって、 呉滅亡の前年にあたる279年に丞相に任命されています。 三国史上最悪の皇帝と言われた孫晧は、具体的に何をしたの? 孫晧が呉最後の皇帝で、 ラスト […]
諸葛恪のとんち話/逸話集
諸葛恪のとんち話/逸話集 諸葛恪は父である諸葛瑾を時には打ち負かすほどの 機転の利いた子供でした。 あまりにも利巧すぎて、諸葛瑾は、 この諸葛家を最も反映させるのは諸葛恪であると同時に、 諸葛家を滅ぼすのも […]
山越の懐柔に大成功した諸葛恪
山越族とは? 山越とは揚州に住んでいた民族で、 孫策時代からこの地で反乱を起こしてきた民族でした。 実際この山越討伐には、 黄蓋・周泰・陸遜・陸抗・陸凱などそうそうたる人物が討伐しています。 […]