三顧の礼
「三顧の礼」とは、
年上の劉備が、年下である諸葛亮(孔明)の庵(いおり)を、
3度訪れて仲間にした話が基になってできた言葉です。
「礼を尽くす事の大事さ」を教えてくれる言葉です。
劉備が孔明の存在を知った経緯
この頃の劉備は、曹操軍に敗れて
荊州の劉表のもとでお世話になっていました。
そんな時に、
司馬徽(しばき)という人物に出合います。
そして劉備は、今現在の不遇を司馬徽に話します。
そうすると、司馬徽は、
「臥龍と鳳雛のどちらか片方だけでも得れば、天下も夢ではない」という言葉を伝えます。
劉備は、臥龍&鳳雛が誰であるか聞いたけれども、
結局教えてくれませんでした。
そんあ矢先、劉備に仕えていた徐庶(じょしょ)という人物が、
わけあって劉備の元を去る事になります。
徐庶は、臥龍である諸葛亮(孔明)と鳳雛である龐統(ほうとう)とは、
同じ学問仲間であった為、その2人の人物と面識があり、
その2人の名前を教え、劉備の元を去っていきました。
劉備、孔明の庵を訪ねる
劉備は、孔明の元を訪れる決意をし、
孔明が住んでいる庵に出かけようとします。
その時に関羽と張飛は、
「年下なんだから、ここに呼び出せばいい!」と劉備に言います。
だけど劉備は、
「こちらからお願いに行くのに、呼び出すなんて失礼な事は出来ない」と言い、
関羽と張飛を連れて、孔明の元を訪れます。
だけど孔明は不在でした。
孔明の庵を再度訪ねる
劉備はしばらくして、再度孔明の庵を訪ねます。
この時、弟の諸葛均(しょかつきん)がいましたが、
孔明はまたもや不在でした。
3度目、孔明を訪ねる
そして3度目、孔明の庵を訪ねます。
今度は孔明はいたようなので、
関羽と張飛を庵の外で待たせ、1人孔明の元に会いにいきます。
ただ孔明は、丁度お昼寝中で、
その間、劉備は起きるのをずっと待っていました。
この時、中の様子が見えた張飛が、
「この家を燃やしてやる、そしたら起きるだろ!」と言いますが、
関羽に怒られます(笑)
そして孔明が起きて、劉備と対面します。
自分のようなものを3度も訪ねてきてくれて、
そして今回は、起きるまで待っていてくれた劉備に対して、
感銘を受け、仲間になりました。
この逸話を基に、
「三顧の礼」という言葉が生まれています。