曹丕&曹植

曹操には優秀な息子が何人もいました。

 

その中で曹操の跡継ぎになった曹丕は、

非常に文才の高かった曹植に常に嫉妬をしていました。

 

 

まだ曹丕が曹操の跡を継ぐ前、

曹植は曹丕と後継者争いをしていたほど有望視された人物で、

 

今回はその曹丕と曹植の間で伝わっている、

「七歩の詩(七歩詩)」についての話になります。

七歩の詩を読んだ経緯

横山光輝三国志(42巻195P)より画像引用

 

曹丕は最初に述べたように、曹植に嫉妬していました。

 

ある時、曹丕が曹植に対し、

「お前は文才が高いからと、ちやほやされていたが、

本当にそんな才能があるか怪しいものだ。

 

本当に才能があるなら、

七歩歩くうちに、詩を作ってみよ!」と命令します。

 

 

続けて次の言葉を曹植に告げます。

「もしできなければ、お前を殺す!!」と・・・

 

 

そして曹植は七歩を歩きながら詩を完成させます。

ここで読み上げたのが次の詩です。

煮豆燃豆萁

豆を煮るに、豆がらを燃やす。

 

豆在釜中泣

 豆は釜中に在りて泣く。 

 

本是同根生

本は是れ、同根に生ぜしに、

 

相煎何太急

相い煮ること、何ぞはなはだ急なる。

 

これ「同じ根から生まれた豆と豆殻なのに、

何故にいがみ合わなければならないのか!?」という意味で、

まさに曹丕と曹植の関係を詩に込めて読んだのです。

 

これを聞いた曹丕は涙を流し、曹植を許しています。

これが七歩の詩が生まれた経緯ですが、実際は正確な内容ではありません。

「正しい七歩の詩」の逸話

横山光輝三国志(42巻192P・193P)より画像引用

 

曹丕が七歩の詩を読むように曹植に言った時、

部屋に飾ってあった「二頭の牛」の水墨画をもとに詩を読むように言っています。

 

この水墨画は、「二頭の牛が塀の下で戦っており、

一頭は井戸の下に落ちて死んでいる。」という様子が描かれていました。

 

七歩で詩を作るだけでも大変なのに、実は条件まで出されていたのです。

 

 

しかし曹丕の嫌がらせは、これだけではありませんでした。

 

さらに、「二頭の牛が、塀の下で闘う」

「一頭の牛が、井戸に落ちて死ぬ」などの文字は、

使ってはいけないとも合わせて条件を出しています。

 

曹植は迷わず歩き出しました。そして次のような詩が完成しました。

两肉斉道行 頭上帯凹骨

相遇塊山下 郯起相搪突

二敵不倶剛 一肉臥土窟

非是力不如 盛气不泄畢

 

これは、次のような意味になります。

 

「二つの肉が同じ道を行く。

 

頭上には角があり、山のふもとで出会うと、

すぐにその二頭の肉はぶつかり合った。

 

敵同士がお互いに力を出しきれず、片方の肉は土の穴に沈んでしまった。

 

沈んだ肉は実力が及ばなかったからではなく、

ただ全力を出し切れなかっただけである。」

 

 

これを聞いた曹丕は驚きはするものの、

ここで曹丕は引き下がりません。

 

そして、次の言葉を続けます。

「七歩で詩を作るなんて誰でもできる。

私の声に応じて、すぐに詩を作れ!!」と・・・。

 

 

そして曹丕は「私とお前は兄弟だ。

この兄弟というお題で詩を作れ!

 

だけど、兄弟という言葉は入れてはならぬ!!」と言います。

 

これを聞いた曹植は、考える事もなく詩を読み上げます。

これが豆を題材にした有名な詩です。

 

 

ですので正確には七歩の詩ではなく、曹丕の一声で完成した詩なので、

「一声の詩」というのが正しい言い方だと思います。

 

「七歩の詩」は、あくまで「二頭の牛」をお題にした詩なのです。

 

しかし現在、「七歩の詩=兄弟」を題材にしたものが主流となっているのは、

おそらくその話の方が美しいからだと思いますね。

傾国の美女、甄氏(甄皇后/甄姫/しんし) 〜曹操・曹丕・曹植を虜にした美貌〜

「七歩の詩」の真実

最期にサクッと結論を言ってしまいますが、

陳寿「三国志(正史)」には「七歩の詩」に関する話は登場しておりません。

 

つまり三国志演義で描かれたフィクションということです。

 

 

しかし三国志演義の話は、

南北朝の宋の時代の「世説新語」という小説集がもとになっています。

 

そしてこれを参考にした羅貫中が、三国志演義に取り入れたものであるわけですね。

 

 

曹植 -中国文学の神になった「詩聖」-