「曹操」という男の価値

だ曹操が若かりし頃、河南に住んでいた許劭(きょしょう)は、

曹操を見て「治世の能臣、乱世の奸雄」と評価しています。

 

この許劭は、人物鑑定で非常に有名な人物でした。

 

どういう意味かというと、

「あんたは世の中が平和なら、ただの優秀な役人だけれども、

今の乱れた世の中なら、奸雄になれる」という意味です。

 

 

この時代は宦官が力を持ち、

後漢の力も地に落ちかけていた乱世の時代で、

 

そういう意味でも、まさに曹操にピッタリ当てはまった言葉だったと思いますね。

許劭(許子将) -人物批評の大家/治世の能臣、乱世の奸雄-

「奸雄」のそもそもの持つ意味

奸雄とは「英雄」「悪党」という意味で解釈される事が多いですが、

実際はそんな単純な言葉ではありません。

 

 

「権謀術数に長けており、お人好しを手玉に取り、

 

世に轟くような志を抱き、

天下に覇を唱えるような強烈な個性の持ち主」

のことを奸雄といいます。

 

 

ですので英雄や悪党は、

簡単に一区切りにつけれるものではなく、

 

それを飛び越えた「大英雄」と「大悪党」

の二つの要素を組み合わせたような意味というわけです。

三菱の創設者、岩崎弥太郎「俺は乱世の奸雄になる」

岩崎弥太郎は、

坂本龍馬と同じ時代に生きた人物です。

 

後に「三菱」を設立したことでも知られる人物になりますね

 

 

この岩崎弥太郎ですが、

「俺は乱世の奸雄になる」といった話があります。

 

江戸時代から明治時代に移った時代に、彼はその言葉を言っています。

 

 

「三国志と関係ないじゃん!」

と思われる方も多いと思いますが、

 

この時代は明治の世に移ったばかりで、世の中はまだまだ乱れていました。

 

そして彼は手段を選ばず、できることはなんでも行い、

商人としての地位を築いていきます。

 

 

そして西郷隆盛の西南戦争を利用したり、

 

日清戦争・日露戦争までも利用して、

莫大な利益を獲得する事に成功しています。

 

 

もちろん、様々な困難にも直面しますが、

彼はその度になんとか乗り越えていっています。

 

結果として最終的に三菱を設立し、

現在の基礎を築きました。

 

岩崎弥太郎と曹操の時代・立場こそ違えど、

岩崎弥太郎も「乱世の奸雄」に最終的になれたのではないかと思いますね。

 

 

この岩崎弥太郎の話は、だいぶ前ではありますが、

 

どこかで見た(聞いた)記憶が頭の片隅に残っていましたので、

せっかくなので紹介させて頂きました。

「善」と「悪」は表裏一体

これは三国志に限らずですが、

話には「善」「悪」という位置づけがされる事が多いです。

 

三国志演義でみると、劉備を「善人」「正義」といった位置づけがされ、

曹操を「悪人」「不義」といった位置づけがされています。

 

これは日本の「忠臣蔵」でもそうですね。

大石内蔵助(おおいしくらのすけ)が善人、

吉良上野介(きらこうずけのすけ)が悪人といった感じです。

 

 

どちらも小説ですが、こういった話というのは、

善人」と「悪人」を生む事で、その物語が非常に面白くなります。

 

善人がいてこそ、悪人が輝き、

悪人がいてこそ、善人が輝くという相乗効果が生まれるからです。

 

 

ただここで勘違いしてはいけないのは、

曹操を悪人と仕立て上げた三国志演義を鵜呑みにするのではなく、

 

「大悪人にも大英雄にもなれる大人物は、

曹操以外にいなかった」と解釈するべきだと私は思います。