群雄割拠時代の到来

反董卓連合が崩壊したのちの群雄は各々の領地に帰り、

力を蓄えていくことになります。

 

そして董卓に代わり中華統一を狙う群雄も増えていくんですが、

青州の黄巾賊を吸収し、飛躍に成功したのが曹操でした。

 

また袁紹も多くの人材を抱え、

公孫瓚を打ち破るなど4州にまたがって領地拡大に成功しています。

 

そんな中で、曹操と袁紹は自然と対立を強めていく事になるのです。

青州兵(曹操軍精鋭)誕生の秘話

曹操・袁紹の二人の関係の変化

互いに領地拡大をしていくなかで、自然と敵対していく事になるんですが、

かつては親友同士でもあったのが曹操と袁紹でした。

 

 

二人で花嫁を奪って逃げたなんて話もありますよね。

 

逃げてる途中で袁紹が茂みにはまってしまい、

それを見た曹操が「ここに花嫁泥棒がおるぞ!」と叫んで、

 

それにびっくりした袁紹は足の痛みを忘れて逃げ去ったみたいなお話です。

 

 

しかし董卓が長安へ遷都をした際に、

攻撃に慎重だった袁紹と攻撃を推奨する曹操で対立が起きてしまうことがありました。

 

 

そして二人の意見が一致する事はなく、

 

仕方なく曹操は自分と鮑信という人物だけで追撃を試みますが、

董卓軍の徐栄によって惨敗させられてしまいます。

 

その後曹操は反董卓連合から脱退して軍の立て直しをはかるということがあり、

それ以降二人は相いれない関係となっていったのでした。

曹操の懐刀的な存在になる荀彧の登場

もともと荀彧は袁紹に仕えていましたが、

袁紹に愛想を尽かして曹操の元へと馳せ参じています。

 

それに対し曹操は「わが子房である」と言って、荀彧を大歓迎ムードで迎えたのでした。

 

ちなみに「子房」とは、劉邦に仕えていた張良(子房)の事であり、

 

張良を得た事で劉邦が天下統一できた事になぞらえて、

曹操は上のような言葉を荀彧に言ったのです。

 

二人は以前からお互いを知っている関係でもありました。

何顒かぎょうという人物が二人を的確に評価した話なんてあったりしますからね。

若かりし頃の曹操と荀彧を高く評価した何顒(かぎょう)

 

 

荀彧を曹操が迎えられたことで、

多くの優秀な人材が曹操の元に集まってくることになります。

 

また荀彧自身も曹操にとって欠かせない参謀になる戯志才・郭嘉・荀攸など、

数多くの人材を曹操に紹介しています。

 

赤壁の戦いの際に、

「もしもまだ郭嘉が生きていたら・・・」と曹操が言ったなんて話は有名ですね。

荀彧から最初に曹操に推挙された智謀の士「戯志才」

 

そしてもう少し後の話でもありますが、

 

荀彧は洛陽で助けを求めていた献帝を迎え入れるべく提案し、

献帝を素直に迎え入れています。

 

これにより曹操は形式上は「漢王朝を守る者」として、

大義名分を得る事に成功したわけです。

 

「私に逆らう者は皇帝からの命ということで討ち滅ぼすぞ!」

みたいな感じだという感じでしょうね。

 

そうやって曹操は自分を支えてくれる多くの人材を獲得し、更に勢力を大きく伸ばしていく事になります。