曹操、献帝を迎え、許昌に都を移す

荀彧の提案によって、

曹操は洛陽から脱出していた献帝を迎えます。

 

皇帝の権力は、

黄巾の乱・董卓の横暴等を見ても分かるように

完全に形骸化していた。

 

だけれども、皇帝を抱える事の最大のメリットは、

大義名分を掲げる事が出来る点である。

 

ただ旧都である洛陽は、

董卓によって廃墟にされており、

これを復興させるには莫大な資金と時間が必要で、

群雄割拠のこの時代、そこにそれだけのものを費やせる余裕がなかった。

 

そこで196年に、曹操は、

自分の治めている領地の許昌に都を移す形をとります。

 

これにより短期間に、

洛陽→長安→許昌と都が転々としたことになります。

 

ただ廃墟ではないとはいえ、

許昌を都にし、皇帝を迎えるとなれば、

宮殿や役所を作らなければいけないことを意味していました。

 

もちろん、それを用立てる術は献帝側になく、

全て曹操が負担して建設しています。

 

そのかいあって、

許昌が都として生まれ変わります。

曹操、絶大なる権力を手に入れる

何度も書いていますが、

皇帝に中国を統治する力はもうありません。

ですが様々な要職を与えたりすることは可能です。

 

まずは曹操自身を大将軍、

曹操の配下を沢山の重要な役職に任命してもらいます。

 

これにより形骸化してしまっていた皇帝の権力も、

曹操に要職を与える事で代理的に蘇ります。

 

皇帝は権威をふるい、

曹操が権力を手に入れたという構図が発生するわけです。

袁紹の嫉妬

反董卓連合盟主もつとめ、幼い頃は親友であった袁紹が、

曹操が大将軍に任命されたことに激しく嫉妬します。

 

袁紹自身も後漢の皇帝の力は、

完全に意味も持たないと思っていただけに、

この嫉妬は思いがけない感情でした。

 

袁紹と曹操は幼馴染で、親友でしたが、

次第に曹操よりも家柄が立派なことから、

宦官を輩出している一族の曹操を見下すようになっていきます。

 

また反董卓連合時に、

意見の相違から、お互いの関係に完全に亀裂が入ります。

そんな中での皇帝を迎えての大将軍である。

 

自分より下だと思っていた曹操の大出世に

完全に嫉妬したのです。

袁紹、大将軍になる

そんな中、袁紹の元へ、

皇帝使者として、大尉(たいい)へ任命が言い渡されます。

 

皇帝使者とはいったものの、

完全に曹操からの使者である事は間違いない。

 

つまりこれは、

自分より下だと思っている曹の下につくことを意味します。

 

それが許せなかった袁紹は、

どうにかならぬものかと袁紹は曹操と駆け引きをします。

 

 

結果として、そこまで大将軍に拘りがない曹操が、

大将軍を袁紹に譲る形になります。

 

そして曹操は、袁紹との直接対決を避けつつ、

呂布や張繍といった勢力を駆逐していき、勢力を拡大していきます。

白馬・官渡の戦いと袁家の滅亡

二人の関係は、袁紹が大将軍に、

曹操が司空になることで落ち着いたものの、

 

勢力拡大を目指す二人は、

自然と激突する方向へ向かっていきます。

 

 

そしてとうとう、

曹操と袁紹両軍が白馬・官渡で激突します。

 

序盤は兵力に勝る袁紹軍が優勢でしたが、

最終的に曹操軍が袁紹軍を敗走させることで決着がつきました。

そして、これを機に袁紹の力は徐々に弱まっていくこととなります。

 

その後袁紹は病死したことにより、

袁譚(えんたん)・袁尚(えんしょう)による後継者争いが勃発します。

 

それを見逃す曹操ではなく、そこにつけ込み、袁家を滅亡させ、

曹操は一大勢力にのしあがっていきます。