氷城の計
「氷城の計」とは寒い時期に、その寒さを利用して、
一夜で氷の城(または砦)を作ってしまうというものです。
日本戦国時代に、豊臣秀吉が建設した墨俣城(一夜城)の話が有名ですが、
それと同じようなものですね。
一夜で城が完成する事で、相手が精神的に受けるダメージが大きく、
戦いの際にも今後、その城を利用して戦う事ができるのも大きな利点になります。
「氷城の計」が登場する潼関の戦い(三国志演義)
三国時代にこの「氷城の計」が登場するのは、
211年に勃発した馬超・韓遂らと戦った潼関の戦いに登場した計略になります。
三国志演義では馬超・韓遂による反乱にまとめられてはいますが、
実際は十人の有力者による反乱というのが正しい所です。
そしてその十人をまとめて「関中十部」と呼びますが、
そもそも関中とは長安より西の地域を指していますね。
- 馬超
- 韓遂
- 楊秋
- 成宜
- 李堪
- 程銀
- 侯選
- 張横
- 馬玩
- 梁興
そしてここでは三国志演義で、
メインになっている馬超・韓遂の反乱という事で話を進めていきます。
馬超・韓遂は曹操と激突するわけですが、
曹操は精強な涼州の軍団に苦戦を強いられていました。
実際に曹操はこの潼関の戦いで、
馬超に追い詰められて死にかけた事もあったといいます。
この時は許褚の活躍で九死に一生を得ていますが、これは正史にも書かれてある内容になります。
夜襲・奇襲に苦しめられる曹操軍
横山光輝三国志(31巻193P・203P)より画像引用
曹操は馬超・韓遂らによって苦戦を強いられていた上に、
度重なる夜襲や奇襲が仕掛けられたことで、
その対応にも悩まされていました。
それにより兵士は睡眠不足に陥って、大きく士気が低下します。
曹操はそれを解決するために、
安心して休めて、敵への対応がしやすい城や砦といったものを築こうとしますが、
完成が近づくと、毎度の如く火攻めや水攻めを行って毎度壊されていたことで、
曹操はどうしたものかと途方にくれてしまいます。
そしてここで登場するのが夢梅老人になりますね。
夢梅老人による「氷城の計」
横山光輝三国志(32巻20P・21P)より画像引用
そんな時に夢梅老人が曹操の元を訪れ、
「城をある程度作った所で、城全体に水をかけていれば、
夜が明ける頃には城が完成してるでしょう」とアドバイスしたのです。
ちなみに夢梅老人は、京兆の人で、
終南山に隠棲している設定として登場していますね。
その外見は鶴のようであり、姿は松のようであると、
結構意味不明な姿をしていたようでして・・・
曹操は夢梅老人が言っていた意味を瞬時に理解し、
その日のうちにすぐに実行に移したのでした
そして翌日には氷城が見事に完成してしまい、
それを見て驚いた馬超・韓遂でしたが、どうすることもできずに・・・
横山光輝三国志(312巻30P・31P)より画像引用
氷城が完成した事で、
馬超・韓遂の夜襲・奇襲に悩まされる事がなくなった曹操は、
これまで苦しめられていたのが嘘のように、戦いを有利に展開していきます。
最終的に賈詡の「離間の計」により、
馬超は韓遂を疑い出すようになり、仲違いを始めてしまうのでした。
そしてそこを突かれるように曹操軍の攻撃を受け、
潼関の戦いは曹操の勝利で終わったという感じになりますね。