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曹叡 -魏の最盛期を築いた名君-

曹叡は、三国時代の魏の第二代皇帝です。
父は魏の初代皇帝である曹丕、母は甄氏(甄皇后)です。
後世では祖父の曹操ほど目立つ存在ではありませんが、
実際には魏が最も安定し、最も強盛だった時代を築いた皇帝でした。
正史『三国志』では聡明で政治能力に優れた君主として評価される一方、
晩年には大規模な宮殿建設や土木事業を好んだことも記されています。
幼少期 -曹操に愛された聡明な孫-
『三国志』明帝紀によれば、曹叡は幼い頃から非常に聡明で理解力に優れていました。
曹操は孫の中でも特に曹叡を可愛がったと伝えられています。
裴松之注に引く魏書』では、曹操が曹叡を見て、
「わが家は三代続いて栄えるだろう」と喜んだと記されています。
母・甄皇后との関係
曹叡の生母は甄氏でした。
甄氏はもともと袁紹の次男である袁熙の妻でしたが、曹操軍が鄴を攻略した後、曹丕の妻となります。
しかし後年、曹丕の寵愛は郭氏へ移り、甄氏は失寵しました。
そして黄初二年(221年)、甄氏は曹丕から死を命じられています。
この出来事は曹叡の人生に大きな影響を与えたと考えられています。
- 子鹿の逸話(『魏志』明帝紀(裴松之注「魏末伝」)
- 孝心を示した逸話(『魏志』明帝紀(裴松之注「魏略」)
などは有名な曹叡の逸話です。
曹丕と曹叡が狩猟に出た際、母鹿と子鹿を見つけました。
曹丕が母鹿を射殺した後、子鹿を射るよう曹叡に命じます。
すると曹叡は涙を流し、「陛下はすでに母を殺されました。私はその子まで殺すことはできません」と答えました。
これを聞いた曹丕は弓を捨て、深く感じ入ったといいます。
ただし、この発言が生母甄氏の死を暗に非難したものだったかどうかは史料には明記されていません。
後世にはそのように解釈されることが多いものの、あくまで推測の域を出ません。
皇太子への道&第二代皇帝
曹丕には他にも皇子がいました。
特に郭皇后には実子がおらず、後継者問題は一時不透明でした。
しかし曹叡の才能と人格は群臣から高く評価されており、
黄初七年(226年)、曹丕は崩御直前に曹叡を皇太子として正式に後継者へ定めました。
同年、曹叡は即位します。当時23歳前後でした。
即位当初の魏政権

曹叡即位時の魏には、優秀な重臣が多数存在していました。
〈上公〉
- 曹真(大将軍)
- 曹休(大司馬)
- 鍾繇(太傅)
〈三公〉
- 陳羣(司空)
- 王朗(司徒)
- 華歆(大尉)
さらに、司馬懿が驃騎将軍として重用されていました。
蜀漢戦 -諸葛亮との対決-
曹叡治世最大の軍事課題は蜀でした。
建興六年(228年)、諸葛亮が第一次北伐を開始します。
この時、曹叡は若い皇帝でありながら極めて冷静でした。
長安へ親征し、曹真・張郃・司馬懿らを適切に指揮して防衛体制を整えています。
街亭では馬謖が敗北し、蜀漢軍は撤退しました。
その後も諸葛亮は五度にわたり北伐を行いますが、魏はついに関中を失うことはありませんでした。
孫呉戦 -孫権との対決-
曹叡は呉との戦いでも優秀な統治能力を発揮しました。
特に黄龍元年(229年)、孫権が正式に皇帝を称すると、曹叡は直ちに防衛体制を再編します。
一時は呉軍が合肥方面へ攻勢をかけましたが、満寵・曹休・曹真らの活躍によって撃退されました。
魏は曹叡の時代を通じて蜀・呉双方からの大規模侵攻をほぼ防ぎ切っています。
人材登用
曹叡は人材を見る目にも優れていました。
重臣たちの能力をよく理解し、司馬懿・蔣済・満寵・劉曄・孫礼などを適材適所に配置しました。
また諸葛亮死後も司馬懿を引き続き重用しています。
結果として魏は軍事・行政の両面で安定を維持しました。
晩年の問題点
長所が多く見られる曹叡ですが、そんな彼には欠点もありました。
晩年になると宮殿や庭園の建設を盛んに行うようになります。
- 洛陽宮殿の増築
- 景福殿の建設
- 大規模土木工事
などに多くの労力を投入しました。
群臣から諫言も受けましたが、十分には聞き入れなかったといいます。
この点は陳寿も批判的に記しています。
後継者問題
曹叡には実子がいましたが、全て早世してしまっています。
そのために一族から曹芳・曹詢らを養子として迎えています。
最終的に曹叡は曹芳を後継者に指名し、景初三年(239年)、曹叡は崩御します。
そして曹芳の補佐役として、後事を曹爽・司馬懿を指名しています。
しかしこれが後の政変の原因となり、やがて司馬氏の台頭へつながっていきます。
正史における評価
陳寿は曹叡について、聡明にして決断力があり、
臣下の能力を見抜くことに優れていたと高く評価しています。
一方で、宮殿造営を好み、労役を重くしたとも批判しています。
総合すると曹叡は、
「曹操・曹丕から受け継いだ魏の国力を最大限に活用し、魏の最盛期を築いた有能な皇帝」
と評価できます。
諸葛亮の北伐を退け、呉の侵攻を防ぎ、
国内統治も安定させたことから、三国時代を代表する名君の一人に数えられる人物でしょう。


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