祖茂(「そも」「そぼう」)

祖茂は孫堅に仕えた武将ですが、

正史にほとんど記録が残されていない人物になります。

 

また「孫堅四天王」の一人として数えられることの多い祖茂ですが、

これはおそらく光栄(KOEI)によって作られた設定だったように記憶をしています。

 

このあたりに関しては、はっきりとした私の記憶があるわけではありませんが、

「孫堅四天王」という言葉は、「正史」はもとより「三国志演義」にも登場しませんし、

 

過去には長らく光栄の歴史シュミレーションゲームにもお世話になった事もあり、

勘違いでなければ光栄だったと思います。

 

〈孫堅四天王〉

「正史」孫堅の身代わり

初平元年(190年)に袁紹を盟主に反董卓連合が結成されると、

孫堅もまた袁術軍の立ち位置として董卓打倒に名乗りをあげたわけですが、

 

この時に祖茂も孫堅に従って参戦しています。

 

 

兵力的には董卓軍を圧倒していた反董卓連合ですが、

諸侯らは自らの犠牲を出すことを嫌がり、董卓に攻撃を仕掛ける者達はいませんでした。

 

そんな中で董卓への攻撃を仕掛けたのが曹操でしたが、滎陽県で徐栄に打ち破られています。

 

この時に曹操に同調して共に追撃していた人物に鮑信や衛茲(張邈配下)がいましたが、

衛茲は討死、そして鮑信の弟である鮑韜もまた討死し、曹操は大敗を喫します。

 

 

そしてその勢いそのままで徐栄に敗れたのが孫堅でした。

 

その際に孫堅の逃す為に、孫堅が被っていた赤頭巾を被って、

身代わりの役目を担ったことが「呉志」孫堅伝に残されています。

 

祖茂のお陰でなんとか逃げることに成功した孫堅でしたが、

一方の祖茂はというと、騎兵に追い詰めらえれて逃げ場を失うこととなります。

 

そこで祖茂は馬から降りて、一計を案じたのでした。

 

祖茂は赤頭巾を柱の杭にかぶせると、

祖茂は馬から降りて、近くにあった柱に赤頭巾を被せ、自らは草むらに身を隠します。

 

そしてそこにやってきた董卓軍は、それが孫堅ではなく、

柱の杭にかぶせられた赤頭巾だと気づくと、そのまま立ち去ったといいます。

 

この記録からすると、祖茂もなんとか逃げる事に成功していると思いますが、

これ以降に祖茂が正史の記録に登場する事はありませんでした。

 

その点からも近い未来にひっそりと戦死、

もしくは病死した可能性などもあるかもしれませんね。

「三国志演義」祖茂の活躍

正史では孫堅の身代わりをした人物として登場している祖茂ですが、

三国志演義でも孫堅の身代わりとして登場しています。

 

 

三国志演義で描かれる祖茂は、二刀流の使い手であり、

 

徐栄に敗れたというタイミングではなく、

華雄に敗れた際に身代わりを引き受けた形となっています。

 

「三国志演義」では華雄が対象として登場するのは汜水関の戦いですが、

正史では汜水関の戦いであったり、華雄がやられて後の虎牢関の戦い(呂布の登場)などはありません。

 

そもそも汜水関=虎牢関ですし、

孫堅が董卓軍(胡軫・呂布・華雄)と激突したのは陽人の戦いです。

 

つまり「三国志演義」では、この陽人の戦いを、

汜水関の戦いと虎牢関の戦いに分けて描いているということになります。

 

 

話を戻しますと、孫堅の身代わりとなって逃げた祖茂ですが、

 

華雄に次第に追い詰められていくのですが、そこで正史同様に柱の杭に赤頭巾を巻いて、

自らは木の陰に隠れて華雄を待ち伏せしたわけです。

 

そして華雄が赤頭巾に手をかけた瞬間に木陰から襲い掛かった祖茂でしたが、

華雄に一太刀で斬り殺されてしまったのでした。

 

 

「三国志演義」で祖茂が華雄に殺害される役目となったのは、

正史での登場がその後になかったからだと思いますね。

 

むしろ死に場所を与えるというのは、「三国志演義」でよく用いられる手法の一つだったりします。

華雄 -三国志演義で関羽の引き立て役になる為に史実以上の活躍を与えられた猛将-

「正史」その後の孫堅

祖茂のお陰もあって逃げ切れた孫堅は、

軍勢を立て直して、再び董卓軍に戦いを挑んでいます。

 

この時に孫堅の前に立ちふさがったのが、

上でも少し触れていますが、胡軫・呂布・華雄でした。

 

ちなみに「三国志演義」では大きな活躍の場を与えられた華雄や呂布ですが、

正史で行われた戦いの中での総大将は胡軫です。

「三国志演義」総大将

  • 汜水関の戦いの総大将:華雄 副将:胡軫
  • 虎牢関の戦いの総大将:呂布

 

ただ呂布と胡軫は仲が悪く、呂布は味方であるはずの胡軫に何度も罠を仕掛けたことで、

華雄は討死してしまっており、この戦いは孫堅軍の大勝で幕を下ろしています。

 

その後も董卓本人を撃破するなど勢いは止まらず、洛陽入城を果たしていますね。

胡軫 -味方の呂布の嫌がらせで敗北させられた将軍-

「三国志演義」その後の孫堅

「三国志演義」では華雄の部下として胡軫が登場していますから、

華雄は演義の中では大きく抜擢された事になります。

 

一方の胡軫は何も言いところがない感じで、程普に真っ先に討たれていますね。

 

 

そして、華雄を討ち取った人物として描かれたのは、

孫堅ではなく、劉備の義弟である関羽なのは余談ですが、

 

劉備を主人公とする演義なので、

劉備の義弟である関羽の力を見せつける場面として描かれます。

 

本来であれば、活躍のほとんどが孫堅の活躍によるものであったにもかかわらず、

劉備らの活躍の場面にほとんどが奪われた形になったわけです。