程普(ていふ)

程普は推察力に長けていた事もあり、

若かりし頃は役人の仕事をしていましたが、

 

その後は、孫堅の臣下となって各地を転戦しています。

 

 

黄巾賊が各地で暴れまくると、討伐に向かう孫堅の元で活躍し、

 

董卓が洛陽を占拠した形で独裁政治を行うと、

反董卓連合の一員として、陽人の戦いで呂布・華雄らを打ち破っています。

 

この時の戦いで、程普は傷を負いながらも活躍したそうです。

 

 

しかし孫堅が劉表との戦いの最中に不遇の死を遂げると、

孫賁が孫堅軍を取りまとめ、袁術の元に戻った際は孫賁に従って行動しました。

孫堅亡き後の孫家復興に尽力した孫賁・孫輔兄弟

孫策の快進撃

孫策が袁術より兵を借りて江東へ進出する際は、

袁術から離れ、黄蓋・韓当・朱治らと共に孫策に従います。

 

劉繇戦では多くの功績をあげたことにより、

2000人の兵士と馬50匹が与えられたことにより、兵持ち将軍に出世。

 

 

その後も孫策の快進撃は続きますが、

その中で程普は一つ一つ手柄を着実にあげていき、

 

会稽郡の太守であった王朗を破ると、呉郡の都尉に任じられるまでとなります。

孫策の危機を救う

呉郡の都尉に任じられていた程普でしたが、

それから少しして丹陽郡の都尉へ転任される事になりました。

 

程普が丹陽郡の都尉になったのには理由もあり、反乱が相次いでいた事もあげられます。

 

程普は孫策の期待に応え、

宣城・涇・陵陽・春穀・安呉などで起きた反乱討伐に見事に成功。

 

 

呉では孫策が急激に領土拡大していた事もあり、

程普だけでなく、孫策自身も反乱討伐に赴くことも多々ありました。

 

そんな中で、丹陽郡で祖郎そろうが起こした反乱があったのですが、

この反乱は規模が大きなもので、孫策自身も苦戦を強いられてしまいます。

 

 

この戦いで、祖郎軍に孫策が包囲されて危機に陥ったことがあったのですが、

程普は騎馬一騎のみを率いて包囲網へ突入。

 

その結果、程普が突撃したところにほころびが生じた事により、

孫策はそこから包囲を突破できたといいます。

 

これらの功績により、程普は零陵太守に任じられています。

ただ当時零陵は孫策領というわけでなかったので形だけの太守だったと思われます。

 

 

この時代、漢王朝の権威は地に落ちていた事もあり、

自分に近い者達を勝手に任命させるということが各地で多発していたので、これもその一例ですね。

孫家三代に仕える

孫策が元呉郡太守であった許貢の食客だった者達に襲われ、

その時の怪我がもとでこの世を去ってしまいます。

 

孫堅の時から仕えてきた程普ですが、

孫策に引き続き、今度は孫権に仕えることになったわけです。

 

そして程普は、孫権の代になっても手柄を上げ続けました。

各地の反乱討伐に赴いたり、黄祖が守る江夏城へも付き従ったりと・・・。

孫家三代(孫堅・孫策・孫権)を翻弄した黄祖

 

208年に起こった曹操軍との赤壁の戦いでは、

周瑜・黄蓋らと連携し、鳥林を襲って曹操軍の撃退に成功。

 

更に周瑜に従って曹仁が守る江陵を奪い取ることに貢献したことで、

程普は江夏太守に任じられました。

 

 

またそれだけでなく、4つの県が領邑として与えられました。

 

ちなみに領邑が与えられたという事は、

程普の個人的な領地として4つの県が与えられたという事ですね。

程普の最後

 

その後に周瑜がこの世を去ると、

周瑜の跡を継いで南郡太守に任命されますが、

 

劉備と孫権との間で荊州分割の話し合いがなされると、

程普は再び江夏太守に戻ることになったそうです。

 

最終的に程普は盪寇将軍に任じられましたが、その後まもなくして死去。

 

 

程普の最後には諸説あったりしますが、

ハンセン病にかかり死んでしまったと言われています。

 

ハンセン病は古来より人に恐れられてきた難病の一つですが、

現在では完治できる病気でもあります。

程普と周瑜の逸話

孫堅の時から孫家に仕えていた程普は、

孫策時代にいきなり入ってきては重要な役割を任せられていたことからも、

 

程普は周瑜の事がどこか好きになれませんでした。

というか、普通に嫌いだったと思われます。

 

 

しかし一つ一つの任務を着実にこなして国の為に働く周瑜を見ていくうちに、

程普は周瑜を認めるようになっていきました。

 

それからというもの、程普と周瑜は互いに話をすることが増えていきましたが、

程普はその時の様子を次のように語っています。

 

「周瑜殿と話していると、美味しいお酒を飲んでいる時のように、

いつの間にか周瑜殿に魅せられて、酔ったような感情になっている自分がいる」と・・・。