劉備の近い所の一族は、本筋から遠すぎるせいか、

記録としては乏しいような人物が非常に多いんですよね。

 

今回登場する劉元起もその一人です。

 

 

ただ劉元起の劉備に与えた影響は非常に大きく、

劉備の人生を良い方向に導いた人物だと考えています。

 

そんな劉元起と劉備の逸話をここでは見ていきましょう。

盧植の元で学ぶ

劉備が琢県で筵(むしろ)を編んで生活していた頃の話になりますが、

 

劉備は貧乏ながらも高名な盧植の元で多くを学び、

そこで公孫瓚と出会ったことになっています。

 

 

このあたりの事は知ってる人も多いかもしれませんが、

ちょっとお待ちを!!

 

そもそも自分達(劉備&母親)の生活にすら苦しんでいた劉備が、

盧植のような立派な人物の元で学べると思いますか?

 

 

 

 

結論から言ってしまうと、

 

そうとうなコネが発生してたりしない限りは、

裕福な家庭じゃないと学ばせる事なんて普通はできません!

 

 

今でもそうですが、生活に苦しんでいる家庭が、

高額塾なんかに普通は通わないのと全く同じです。

 

 

では貧しかった劉備が、

何故に盧植の元で学べたのか?

 

ここで劉元起が登場するのは想像できるかもしれませんが、

そのあたりの事について今回は触れていきます。

劉備 -流浪の果てに皇帝まで上り詰めた英雄-

劉備の才能を見抜いた劉元起

劉備の一族に劉元起りゅうげんきという人物がいました。

年齢的には劉備の父である劉弘の世代にあたります。

 

劉元起には、劉徳然という実子がいましたが、

実の息子でもない15歳の劉備と一緒に盧植の元で学ばせていますね。

 

 

劉元起は息子と全く変わらない待遇で学ばせ、

必要な学費の面倒は、全て劉元起が見てあげたといいます。

 

 

ただ劉備は勉強こそあまり好きではなかったようですが、

公孫瓚・牽招といった人物と知り合うきっかけにもなったのでした。

 

 

もしかしたら劉備が将来立ち上がる際に、

 

豪商であった張世平・蘇双から

支援を受けれるようになった可能性すらあると考えると、

 

劉備の歯車が良い方向に動き出す、

最初の添加剤的な役割を果たしたのが劉元起であったように思います。

張世平&蘇双 -劉備を奇貨(きか)と判断した豪商-

劉元起が劉備に資金援助した理由

劉元起が劉備を実子と変わらず、

学費など必要経費の全ての面倒を見てあげていましたが、

 

そもそも何故他人の子の面倒を見てあげてたか不思議ではないですか!?

 

 

普通は相当裕福である場合などを除くと、面倒なんて普通は見ないと思います。

 

実際それを良く思わない人がいました。

当たり前のように劉元起の奥さんなわけですが・・・

 

そこで奥さんは旦那に

その理由を尋ねたことがあったそうです。

 

「別親の子の面倒を、

何故ここまで見てあげているのですか?」と・・・

 

 

その質問に対して劉元起は、「我々一族の中で、

玄徳に匹敵するような逸材は一人も見当たらない!

 

この子は将来大物になる。

だからそれ以上口を挟まないでおくれ!!」

と返したことで、奥さんは何も言えなくなったと言います。

 

 

 

後に劉備は皇帝にまでに出世するわけですが、

15歳の劉備の将来性を見事に見抜いた劉元起もまた凄い人物だと思いますね。

 

劉元起が盧植の元で学ばせていなければ、

一生筵(むしろ)を編んで生活していたのかもしれません。

 

 

人生とは一つの歯車がかみ合わないだけでうまくいかなかったりします。

 

逆に一つの歯車がきちんと噛み合うだけで、

次々と良い連鎖が生まれたりするのもよくあることだったりするわけで・・・

 

その最初に歯車をかみあわせた人物が劉元起だったのかもしれませんね。