神童、曹沖(そうちゅう)

曹沖は、曹操の側室であった環夫人との間にできた子で、

曹丕や曹植とは異母兄弟になります。

 

 

曹沖は幼い頃から学問を好み

曹沖が5・6歳になる頃には、大人たちを凌ぐほど聡明に成長していきます。

 

また曹沖は優しい心の持ち主でもあった為に人々から愛され、

将来を有望視されている人物でした。

 

 

それは曹操から見ても例外ではなく、才能豊かな曹沖を愛しており、

「兄の曹丕を差し置いてでも跡を継がせたい!」

と思うほどだったといいます。

 

 

曹沖が大病にかかった時は、各地の名医を集めて治療させたそうです。

 

それだけではなく、普段は軽んじていた祈祷屋まで呼んで、

曹沖の回復を願ったんですよね。

 

しかし治療や祈りもむなしく

曹沖は13歳の若さでこの世を去ります。

 

 

また曹沖が死去する少し前に、

天下の名医であった華佗(かだ)を殺してしまった事を曹操は生涯後悔したといいます。

 

 

そして結婚せずに死んだ曹沖の為に、

 

同時期に死んだ美しい甄家の少女の遺体を譲ってもらい、

結婚式と葬式を同時に行ったそうです。

 

せめて死んでからでも幸せになって欲しいという

曹操の願いが込められていたのでしょう。

周不疑(しゅうふぎ) -曹沖と並び称された神童-

曹沖にまつわる曹操と曹丕と言葉

曹操は、曹沖が死んだ際に、

曹丕に対して次のように話したことがあります。

 

「曹沖の死は、私にとっては大きな悲しみだけれども

お前(曹丕)にとっては幸いなことだ。

 

なぜならこれでお前が私の後継者になれるのだから・・・」

曹操(孟徳) -中華統一以上のモノを未来へ残した超人-

 

 

また曹丕自身も後に次のように語っています。

 

「兄の子脩(曹昂)が生きていても無理だったが、

 

曹沖が生きていたとしても、

私が皇帝になって天下を治めることはなかっただろう」と・・・

曹丕 -漢を滅ぼし、魏を建国した初代皇帝-

曹沖の逸話①

曹操の元に、孫権から象の贈り物が届いた事がありました。

 

それで曹操が「象の重さがどれぐらいあるのか?」

を周りの者達に尋ねます。

 

曹操の問いに誰も答える事が出来ない中、

「象を船に乗せて、

その船が沈んで水の跡がついた所に印をつけて、

 

その後に象と同じ水面下になるまで、

重しを乗せていけば量れるんじゃないですか!?」

 

とたったの5歳であった曹沖が答えて曹操を喜ばせたといいます。。

曹沖の逸話②

 

ある時、曹操が倉庫で保管していた鞍(乗馬の際の馬具)が、

ねずみにかじられてしまう事がありました。

 

ねずみにかじられる事は、不吉の前兆と言われていた為、

曹操は管理していた門番を処罰しようとします。

 

 

この事を耳にした曹沖は、その門番を呼び出して、

3日後に曹操に謝罪するように伝えます。

 

 

そして曹沖は自分の服に穴をあけ、

 

ねずみにかじられてしまい、

不幸な事が起こるのではないかと怯えるそぶりを見せます。

 

 

これに対して、曹操は、

「そんなものは迷信だから気にする必要はないぞ!!」

と曹沖に優しく言葉をかけます。

 

 

それから3日後、曹沖に言われた通り夷門番が曹操の元に謝罪にくると、

「身につけている衣服でさえ、

ねずみにかじられる事もあるのだから、

 

倉庫に置いていた鞍がかじられるのも当然のことだ!」

といって、笑いながら門番を許したそうです。

 

まさに曹沖の優しさが滲み出いてるような逸話になってますね。