司馬懿(仲達)
司馬懿(しばい)といえば、
諸葛亮(孔明)のライバルというイメージが高く、
魏にとってなくてはならない人物の一人になります。
そんな司馬懿なんですが、実力は当たり前として、
曹丕・曹叡に大きな信頼をされていました。
一方で曹操からも能力は高く評価されていたものの、
人として信頼されておらず・・・
だからこそ曹操は、
司馬懿に兵権だけは与えなかったと言います。
またそれは曹操が死ぬまで、
生涯変わらなかったことでもありました。
狼顧の相(ろうこのそう)
司馬懿は「狼顧の相」といって、
狼のように180度首を曲げる事が出来たと言われています。
曹操はこの噂を聞いて、
司馬懿の後ろをわざと歩くことに・・・
そしていきなり司馬懿に質問を投げかけることで、
司馬懿の噂を確かめようとしたわけですね。
すると司馬懿はそのまま前に体を向いたまま、
首だけ180度回して、曹操の問いに返したといいます。
噂が本当だったことを知った曹操は、
「司馬懿という人間は、
いつまでも人の下についている人間ではない!」
と曹丕に注意を促したという話が残っています。
曹操の夢話
曹操は、ある時に次のような夢を見たといいます。
三頭の馬が
同じ桶に入った餌を食べている夢を・・・
この夢の内容を曹操なりに解釈して言うには、
三頭の馬は司馬懿・司馬師・司馬昭を表しており、
桶に入った餌は曹家(魏)を表しているといったものでした。
つまりこの夢のように将来曹家は、
司馬懿達に乗っ取られるということを暗示していたわけです。
曹操はこれらの事があってからというもの、
司馬懿の能力を高く評価していたにもかかわらず、
生涯重要な地位にはつけず、兵を預ける事はしなかったといいます。
司馬懿の躍進
曹操がこの世を去って曹丕が跡を継ぐと、
曹丕は皇帝になり、「魏」を建国します。
曹操から司馬懿について注意されていた曹丕ですが、
曹丕は司馬懿を大変に信頼していきます。
そして重要な職を司馬懿に任せたりするわけですが、
曹丕も兵権を司馬懿に預ける事だけはなかなかしませんでした。
というのも曹丕は信頼こそしているけれども、
父親である曹操の言葉が頭を過ぎることも多々あり、
曹丕自身も司馬懿に対して、
「臣下として終わる男ではない!」と評価していたからです。
ただ曹丕が亡くなる一年前にあたる225年には、
数々の手柄から仮節・撫軍大将軍・録尚書事に任じたことで、
とうとう兵権(五千人)も与えられています。
そして曹丕が亡くなって曹叡の時代になると、
司馬懿は加速するように軍事的な役割を多くになっていくことに・・・
晋の建国
曹叡が死んで曹芳の時代に入ると、
司馬懿の力は皇帝を上回る程強くなっていきます。
そして司馬懿の息子である司馬師・司馬昭の代では、
誰も逆らえない程の権力を・・・
もちろん曹一族に忠誠を誓う者も多く、
各地で反乱は起こったりするわけですが、ことごとく失敗に終わっていますね。
まさに曹操が漢帝国を滅ぼした際と似たような構図になっていったわけです。
そして司馬昭は曹一族に代わって皇帝の位に昇ろうとしますが、
病気によってこの世を去ってしまいます。
しかし司馬昭の子である司馬炎によって、
265年に魏は滅ぼされ、晋が建国されたという流れですね。
つまり曹操の予感は、
ここに実現を迎えたわけです。