諸葛恪のとんち話/逸話集

諸葛恪は父である諸葛瑾を時には打ち負かすほどの

機転の利いた子供でした。

 

あまりにも利巧すぎて、諸葛瑾は、

この諸葛家を最も反映させるのは諸葛恪であると同時に、

諸葛家を滅ぼすのもこの子かもしれないと心配したそうです。

 

実際この諸葛瑾の予感は実現し、

最も家を繁栄させるとともに、最終的に諸葛恪の一族は処刑されてしまいました。

今回はその諸葛恪のとんちともいえる逸話集を紹介してみたいと思います。

驢馬(ロバ)×諸葛瑾

赤壁の戦いで孫権が曹操に勝利した跡、

ある酒宴の席で一匹の驢馬(ロバ)が持ち込まれました。

 

諸葛瑾は、面長で驢馬(ロバ)のような顔をしており、

悪酔いした孫権が驢馬(ロバ)の額に「諸葛子瑜」と書いて、

悪ふざけをしたことがありました。

 

 

これを見た諸葛恪は、父である諸葛瑾が馬鹿にされているのが許せず、

孫権が書いた「諸葛子瑜」の後に「之驢」と追記しました。

 

これでこの驢馬(ロバ)は諸葛瑾の驢馬ということになり、

孫権はこの機転に感心します。

 

そして何より親を思う心の温かさに感心し、

驢馬(ロバ)を諸葛瑾に与えています。この時の諸葛恪は6歳でした。

驢馬(ロバ)×費禕

蜀の費禕が呉の孫権が主催する宴会に参加した際に、

費禕は誰に話しかけても無視されてしまいます。

 

これは事前に「費禕をみんなで無視しよう」と、孫権が臣下の者達に言っていたのです。

 

 

無視された費禕は、皮肉を込めて次のように言います。

「麒麟は鳳凰が来た際に、食事をやめたといいます。

 

しかしここには驢馬(ロバ)しかいないようだ。

ただひたすらに下を向いたまま飲み食いしてるだけなのだから・・・」

 

 

これを聞いた諸葛恪はすぐさま反論します。

「鳳凰を出迎えるつもりだったら、雀の類いがきだだけで、

その上鳳凰なんて自称している。弓を討って故郷に帰してやろう」

 

 

ぶっちゃけこれはそこまでうまい返しとはいいがたく、

 

そもそも孫権が無視するように言ったにも関わらず、

無視できなかった時点で諸葛恪の敗北だと思われますね・・・

費禕 -蜀を支えた最後の「四相」-

父と叔父

ある時孫権は、諸葛恪に問います。

「お前の父親とお前の叔父さんは、どちらが優れているか?」

 

ちなみに諸葛恪の父親といえば諸葛瑾、

叔父といえば諸葛亮になります。

 

 

諸葛恪は答えます。

「私の父の方が優れた人物です。

何故ならば使える主君を間違わなかったのですから」

糞と卵

孫権の太子であった孫亮が、

「お前は馬の糞でも食ってろ」と冗談でけなします。

 

相手は太子であったにも関わらず、諸葛恪は言い返します。

「では太子様は、鶏の卵でも食べててください」

 

 

このやり取りを見ていた孫権は、分からず問いかけます。

「何故馬の糞を食えと言われて、鶏の卵を食べさせようとするのか?」

 

諸葛恪は答えます。

「糞も卵も出所は一緒ですから。」

馬の耳の穴

諸葛恪が孫権に馬を献上することがあり、

その献上された馬には、耳に穴が空いていました。

 

諸葛恪の事をよく思っていなかった范慎(はんしん)が、

これを見て、諸葛恪をからかいます。

「馬は家畜であるが、天からの授かりものである。

その馬の耳に穴を開ける行為は、仁に損なう行為ではないか?」

 

 

それに対して諸葛恪は答えます。

「母親が娘へ対する情愛は非常に厚いものです。

その母親が娘に耳飾りをさせる為に耳たぶに穴を開けたりします。

 

なのに馬の耳に穴を開ける事が

どうして仁を損なうことになるのでしょう。」

酒の席×張昭

ある酒宴の席で、諸葛恪が酒の注ぎ役をしていた時、

張昭に酒を勧めようとしたときの事でした。

 

張昭は既に酔っぱらっており、これ以上飲めないといういう意味を込めて、

酒杯を伏せると同時に諸葛恪に対して言葉をかけます。

「お前は老人をいたわる心がないんじゃないのか?」

 

 

諸葛恪は、「周の太公望(呂尚)は90歳になっても、

命令があれば戦にも出かけていました。

 

張昭様は今では戦に出かける事もありません。

 

 

張昭様に酒を飲ませる事に対して、

どうしていたわる心がないと言えるのでしょうか?」と返したわけです。

 

これを聞いた張昭は酒を注いでもらい、内に悔しい感情を押し殺しながら黙って飲んだそうです。

白頭翁(はくとうおう)×張昭

ある時、孫権の宮殿に白い鳥が飛んできました。

孫権は初めて見る鳥で、「あの鳥はなんだ?」と尋ねます。

 

諸葛恪はすかさず「白頭翁です」と答えます。

 

白頭翁にはムクドリの別名でもありますが、

「白髪のおじいちゃん」という意味でつかわれる事も多く、

 

これを聞いた張昭が馬鹿にされたと思い、

「白頭翁なんて名前は聞いたことがない。

せっかくだから白頭翁の対になる白頭母という鳥も探してみてはいかがか?」

と諸葛恪に問います。

 

 

諸葛恪はこれに対して、

 

「鸚母(オウム)という鳥はいても

鸚父なんて鳥は一度も聞いた事がありません」

と返されて、逆に張昭は物笑いの種になってしまったという・・・

まとめ

諸葛恪のこういった話は沢山あります。

 

それだけ頭の回った人物だったのでしょうが、

誰にでも遠慮なく食ってかかるのはいかがなものかと思ってしまいますね。

 

 

孫権が父親をロバと馬鹿にされ、

父親の為にとんちを利かしたあたりだけみると非情に好感が持てますが、

 

張昭とのやりとりなどは、あまり好感がもてるようなものでもないです。

 

 

とりあえず相手を打ち負かす事が好きだったのでしょう。

しかしこのやり方では敵も多く作ってしまいます。

 

だからこそ諸葛恪は、

悲惨な最後を迎えてしまったのかもしれませんね。