張翼(ちょうよく)

張翼はもともと益州犍為郡出身で、

劉備が成都へ入城した時に仕えた人物です。

 

張翼の先祖には、司空まで昇りつめた張晧(ちょうこう)がいたいりします。

その点からも良い家柄のおぼっちゃんって感じかもしれません。

 

ちなみにですが、

漢帝国の大功臣である張良の子孫だという説もあります。

 

そんな張翼ですが、劉備に仕えて後、

梓潼太守・広漢太守・蜀郡太守などを歴任しています。

 

劉備がに漢中へ侵攻した際は、

張翼は、趙雲の指揮のもとに参加しており、

曹操軍を打ち破る功績をあげたりなんかしちゃってます。

 

 

231年、異民族の活動が活発であった南方を任される事になり、

庲降(らいこう)都督・綏南(すいなん中郎将に任命される事になります。

 

しかし張翼のやり方が法に厳しかった為、

233年に劉冑(りゅうちゅう)の主導する異民族の反発を招いてしまいます。

 

この時張翼には劉冑の異民族鎮圧の任務は難しいと判断され、

成都へ戻るように命令が届きます。

 

しかし張翼は、すぐに成都へ戻らず、

自分の後任が届くまで任務を遂行し、後任が来た際にスムーズに異民族の対応ができるように、

兵糧や軍備をきちんと整えていました。

 

そして後任として馬忠が派遣されてくると、成都へ戻るんですが、

馬忠は張翼のお陰もあって劉冑の反乱をスムーズに鎮圧します。

文武に優れ、南方制圧で異民族に慕われた馬忠

 

 

この張翼の話を聞いた諸葛亮(孔明)は、

張翼を信頼するようになり、張翼の能力を高く評価することになります。

 

そして張翼は、前軍都督と扶風(ふふう)太守を任され、

孔明自身は、北伐の際に張翼を連れて行ったり。

 

孔明が五丈原で亡くなると、

233年の劉冑の反乱の際の功績を改めて評価された張翼は、

前領軍に任じられ、関内侯の爵位を与えられています。

 

「孔明が生きてたうちにもっと評価しといてやれよ!」と少し思う所はあるのですが、

そこはこれ以上掘り下げないようにしときます。

 

任された任務を一つ一つ確実にこなす張翼は、

都亭侯・征西大将軍に昇進します。

 

後に廖化が右車騎将軍、張翼が左車騎将軍になった時、

「前に王平・句扶あり、後に張翼・廖化あり」と人々は張翼を廖化とともに褒め称えたそうです。

劉備の「漢王朝再興」という夢の先を見届けた廖化

姜維の北伐に疑問を抱く

 

蒋琬・費禕があいついで亡くなった蜀では、

孔明から期待されて第一次北伐時に蜀に降っていた姜維(きょうい)を抑えられる者がおらず、

何度も北伐を開始するわけなんですけど、

 

ある時、北伐をしようとする姜維に対して、

「蜀の国力は小さい、これ以上の出陣は民衆を苦しめるし、国が衰弱する可能性があるからやめろ!」

と誰も反対しない中、張翼だけが姜維に反対します。

 

 

しかし聞く耳持たない姜維は、北伐を連続で行います。

この時張翼は姜維の戦略上必要な人材で、姜維は張翼を連れて出陣します。

 

結果としてこの戦いでは、魏の王経軍の撃破に成功するものの、

ここでも張翼は「食糧がもうほとんどないんだから引き際が大事だぞ」と姜維に進言するも、

 

姜維はその言葉に聞く耳持たずに戦いを続行し、

結果として何の成果もあげれず、退却せざるを得なくなります。

 

 

姜維は、このことがあってから、

自分の考えに反対する張翼をよく思わないようになります。

 

しかし作戦上欠かせない張翼は北伐時には連れていき、

張翼も反対するものの命令に逆らえず、姜維に従う形で北伐時には付き従っています。

蜀滅亡に立ち会った張翼

 

姜維の幾度にもわたる北伐で、大した成果もあげれず、国力衰退を招いた蜀は、

黄皓などの宦官の出現もあり、政治がかつてないほど腐敗していきます。

 

この時には董允(とういん)もなくなっていたこともあり、

劉禅を諫める人物がいなくなっていたのも大きい所です。

 

 

そんな蜀の情勢を魏が見逃すわけもなく、

鍾会・鄧艾の二人に命じて蜀討伐の軍をおこします。

 

姜維・廖化・張翼などは、魏軍に押されつつも、

天然の要害であった剣閣(けんかく)で魏の足止めに成功します。

 

しかし鄧艾が裏道を通り、成都の東側を強襲した為、

劉禅は降伏し、蜀は滅んでしまいます。

横山光輝三国志(60巻242P)より画像引用

 

横山光輝三国志で、

劉禅が鄧艾に降伏した知らせを聞いた姜維らの会話のシーンで、

「我らだけでも魏軍と最後まで戦いましょう」といった人物が張翼です。

 

しかし劉禅が降った事により、これ以上の戦いは無益との判断にいたり、

姜維・廖化・張翼らは無念のうちに、降伏する事になりました。

姜維の計画に最後まで巻き込まれる

 

劉禅が降伏した事で蜀が滅んでしまうわけですけど、

姜維はまだあきらめていませんでした。

 

姜維は鍾会に近づき、魏に謀反させ、

その結果として再度劉禅を迎えて蜀を復興させるという計画を練っていました。

 

翌年鍾会・姜維は、成都で反乱の狼煙をあげ、

まずは邪魔であった鄧艾を無実の罪で捕らえます。

 

しかしこの反乱は結果的に失敗に終わり、鍾会と姜維は討たれてしまいます。

この時に巻き込まれた形で張翼も討たれてしまいます。

 

自分が思ってもいない方向で姜維に翻弄され続けた張翼は、

最後の死に場所すら姜維に翻弄されてしまいます。

評価とかボヤキとか

陳寿は、姜維の北伐による国力衰退を憂いた張翼によって、

何度も姜維を諫めた張翼を高く評価しています。

 

蜀末期の人物で、姜維は好きな人物の一人ではあるんですが、

やっぱり王平・馬忠・廖化・張翼・羅憲などの方がどことなく好きな自分がいます。

後は黄権の息子である黄崇(こうすう)とか諸葛瞻親子とか・・・

 

常に周りの期待に応え、最終的に「漢中の守護神」として漢中を守り抜いた王平

文武に優れ、南方制圧で異民族に慕われた馬忠

 

ぶっちゃけ姜維は蜀の末期では唯一の華がある人物です。

孔明に認められた知略の持ち主だから尚更ですよね。

 

だから蜀滅亡の原因を作ったのが姜維だとしても憎めない所はあったりと。

最後まで諦めなかったシーンもなんか思うところありますし。

 

 

だけど目立たないけど、確実に仕事をこなした王平・馬忠・廖化・張翼、

蜀の滅亡に従った黄崇・諸葛瞻・諸葛尚とか、

黄権から黄崇へ受け継がれる想い

 

そして蜀が滅んだにも関わらず、

最後の最後で蜀の意地を魏呉に見せつけてくれた羅憲、

 

やっぱりこういった人達に魅力を感じるのも、三国志の魅力の一つなんでしょうね。