貂蝉の民間伝承
三国志の民間伝承は、
本当の話から完全嘘と思えるものまで沢山残っています。
その中で、湖北省に伝わる貂蝉(ちょうせん)の民間伝承に面白いものがあるので、
今回紹介したいと思います。
簡単に言ってしまうと、神医とも呼ばれた華佗が、
董卓暗殺の為に貂蝉を美女に改造してサイボーグ貂蝉を作り上げるというものです。
この話は面白さ半分で見て貰えればなと思ってます。
王允の計画と華佗
後漢皇帝であった献帝をないがしろにし、
董卓の独裁に苦しめられていた民衆を救うため、
王允は貂蝉を使って董卓と呂布の仲をこじらせて、
呂布に董卓を討たせるというものでした。
しかし王允は貂蝉を見て、その計画は無理だと判断します。
だって貂蝉は美女でもなんでもなかったからです。
そんな悩みの中にいた王允の前に華佗が現れます。
そして王允にその悩みを解決できることを告げると王允の前から去り、
それから10日ほどして王允の元へと戻ってきました。
華佗による貂蝉改造計画(容姿編)
王允の元へ戻ってきた華佗は、
「準備は整いました。貂蝉を美人に変えてあげましょう」といい、
持ってきた包みを開きます。
その包みの中には女性の首が入っていました。
この首は、中国四大美女の一人である西施(せいし)の首でした。
「王允がこの首はどうしたのか?」と聞くと、
華佗は「墓から持ってきたものです」と打ち明けます。
というか平気で墓泥棒をする華佗・・・
ちなみに西施は王允の時代より、
約700年前の呉越が争っていた時代に生きていた女性です。
この時点でつっこみどころ満載なんですが軽くスルーして、
王允は西施の美しい首を見て喜んだそうです。
そしてとうとう貂蝉を改造する為の手術が始まります。
華佗はまず貂蝉の首を斬り落とすと、代わりに持ってきた西施の首を縫い付けます。
そうすると貂蝉は1週間ほど息もせず、死んでいるようだったといいます。
あえてここは突っ込ませてほしい。
「貂蝉首切られてるんだから死んでるだろ!!」
しかし8日目にさしかかり、
西施の顔に変わった貂蝉の顔色は徐々によくなっていきます。
そして貂蝉は目を覚まし、何事もなかったかのように起き上がりました。
起き上がった貂蝉を見て、
「この美しさならば、董卓を討つ事ができる」と王允は喜んだと言います。
華佗による貂蝉改造計画(肝/きも編)
王允は西施の顔に変わった貂蝉を使い、さっそく董卓暗殺計画にとりかかりました。
そして貂蝉が美しい女性だという情報が、
董卓の耳に自然と伝わるように王允は噂を流していきます。
この噂を聞きつけた董卓は、
王允の思った通り、貂蝉に自分の元に来るように命じました。
董卓の前にした貂蝉の様子を見ていた王允でしたが、
「西施の美貌をもってしても、肝っ玉がこんなに小さいのではこの計画は失敗してしまう」
とまたもや落胆してしまいます。
この話を聞いた華佗は、またもや王允の元へ駆けつけます。
そして今度は秦の始皇帝を殺害しようとした荊軻(けいか)の墓を暴いて、
荊軻の肝をもってきたそうです。
荊軻は秦が中国を統一する前に、
燕の国から秦に派遣された始皇帝への刺客でしたが、
この暗殺は失敗して、始皇帝によって無残なほど切り刻まれていました。
しかし石のように硬かった肝だけは、無事に墓に残っており、
それを持ってきたというのです。そしてまたもや墓泥棒をやらかして・・・
ここでも色々言いたいことは満載ですが、
絶対に突っ込みません(笑)
そして華佗は貂蝉の手術を開始します。
貂蝉の腹を切って肝を取り出すと、荊軻の肝に取り替えます。
これによって王允は、
董卓を殺害する計画が成就すると喜びます。
西施の美しい顔を持ち、荊軻のような太い肝を持った貂蝉は、
無事に王允の計画を遂行し、その結果といて董卓を殺害する事に成功したのです。
最後に
世の中には多くの民間伝承が残っていますが、
この改造計画は少しどころかかなり飛びぬけた伝承で、
誰が何の目的でこれを作り、それが現在まで伝わってきたのか完全不明です。
ですが、架空の人物である貂蝉だからこそ、
そういった話が面白半分で作られたのかもしれませんね。
※董卓の侍女が貂蝉のモデルになっている
そもそもが中国四大美女に、
架空の人物である貂蝉が数えられてる時点で驚きの話ですし、
董卓が殺害された事で、群雄割拠の時代が幕開けしていますし、
そのきっかけを作った貂蝉だからこそ、
この改造計画も含め、色々な伝承が作り出されのだろうし、
その結果として、中国四大美女とまで呼ばれるようになったんだと思っています。