甄氏は、色々な呼び名が今ではされていますが、ここでは甄姫として記載します。
ちなみに甄姫は「傾国の美女」と言われていますが、
この意味は、国を揺るがす(傾かせる)ほどの美女ということです。
美女によって国が傾いた例は多く、
それほどの美貌を兼ね備えていたのが甄姫だったわけです。
目次
甄氏(甄皇后/甄姫)
甄姫は冀州中山郡の出身で、甄逸の娘としてこの世に誕生し、
裕福な家であった為に不自由ない幼少期を過ごしています。
甄姫は幼い頃から賢い女の子だったようです。
そんな甄姫ですが、名門であった袁家の目に止まったことで、
袁煕のもとへと嫁いでいます。
袁家は三公を多く輩出した名門でしたし、
名家の息子に嫁げたことで、この頃が幸せの絶頂だったかもしれませんね。
しかし、曹操と袁紹の対立が激しくなり、
官渡の戦いで袁紹が敗れると袁家にも陰りが出てきます。
そして202年に袁紹が亡くなってしまい、
後継者争いの激化(袁譚VS袁尚)へと続いていくわけです。
曹操はこれ以降、袁紹の遺児らを次第に追い詰めていき、
甄姫が滞在していた鄴城も204年に陥落しています。
ここで甄姫は戦利品の一つとして、曹丕が強制的に妻へと迎えています。
曹操が嫉妬した程の花嫁
蒼天航路(17巻208P・209P・210P)より画像引用
曹丕が真っ先に甄姫の元に向かったのは理由があり、
父親である曹操も「絶世の美女」と噂だった甄姫を狙っていたからです。
曹丕は父である曹操に単純に渡したくなかったわけですね。
これによって甄姫は袁煕の妻でありながら、曹丕に奪われた形となったのでした。
これに対して曹操は心の底で、「この野郎!」と思ったかもしれませんが、
親として表向き、甄姫との結婚を許しています。
曹操も秦宜禄の妻であった杜氏を妻に娶っているなどの前例もあり、
さすが親子といったところかもしれませんね。
曹丕の寵愛
蒼天航路(17巻195P)より画像引用
曹丕に嫁ぐことになった甄姫ですが、
二代皇帝になる曹叡と東郷公主(女の子)を産んでいます。
この時の甄姫は強制的に妻にされたのかもしれませんが、
共に過ごすうちに曹丕を愛していくことを心に決め、
曹家の世の中で新しい幸せを掴もうとしたんじゃないかと思います。
甄姫の悲劇
曹丕から寵愛を受け、曹叡と東郷公主を産み、
甄姫も幸せを感じ始めていましたが、その幸せも長くは続きませんでした。
曹丕は洛陽に遷都することにしますが、その時には甄姫への愛情も冷めており、
甄姫だけを鄴に残したまま、他の妻を連れて洛陽へ行ってしまいます。
この時、曹丕の寵愛を受けていたのは郭氏でした。
甄姫と違って両親が亡くなった事で家が没落し、
召使いをしていた過去もあり、身分的には低い立場の者でした。
しかし曹丕は郭氏を寵愛するようになります。
また献帝の二人の娘が新たに曹丕のもとへと嫁いできたわけです。
これにより甄姫への愛情は更に薄れていきます。
甄姫はこれを嘆いて愚痴を言ったとされており、
それを耳にした曹丕によって、甄姫に死を命じたのでした。
「漢晋春秋」にある甄姫死後の逸話
甄姫が亡くなった後の話ですが、曹丕は甄姫の遺体を確認します。
そして甄姫のきちんと結われていた髪をぐしゃぐしゃにして、
口のなかに糠を詰め込み、棺桶にも入れずに葬ったともいわれています。
これは「魏志」文徳郭皇后伝の裴松之注「漢晋春秋」に残る逸話になりますね。
さすがに曹丕でもそこまではしないのではないかと私も思いますが、
曹丕の性格上、ありえないと言えないのが怖い所でもありますね。
曹操と曹丕の妻に対する愛情の違い
曹操は13人の妻を娶っていますが、全ての妻を大事にしていた事で知られています。
元夫との間にできた子がいれば、自分の子のように大事に育てていたほどです。
杜夫人の連れ子である秦朗や尹夫人の連れ子である何晏がその最たる例ですね。
曹丕も多くの妻を娶っていますが、
曹操と大きく違ったのは、興味が亡くなった妻に対する仕打ちでしょう。
これは妻にだけでなく、
曹丕に仕える者に対する仕打ちも似たようなところが沢山ありますが、
おそらくそれが曹丕の根本にある素顔だったのでしょう。
もし鄴が陥落したあの日に曹丕ではなく、
甄姫が曹操の妻になっていたならば、幸せな生涯を送れたのかもしれませんね。
そんな不幸な最後を迎えた甄姫があの世で唯一救われたのは、
曹叡が二代皇帝になり、
曹叡が母であった甄姫の名誉を回復させようと動いてくれた事でしょう。
それにより甄姫は「皇后」を追贈されています。
甄氏(甄姫)の名前の由来&曹植の抱いた恋心
蒼天航路(18巻32P・33P)より画像引用
曹植が残した作品に「感甄賦」というのがあります。
これは曹植がある女性に恋心を抱いた物語で、
ここに出てくる女性のモデルが甄姫であると言われています。
二人は現実の世界では一緒になれませんでしたが、
夢の中で両想いになるみたいな話です。
これは曹植の書いた物語ですが、
曹植が14歳の時、10歳以上離れた甄姫に淡い恋心を持ったそうです。
蒼天航路(18巻31P)より画像引用
「感甄賦」は、
曹叡によって後に「洛神賦」に名前が変えられています。
もともと甄姫は三男五女の末っ子でしたが、
何故か一番伝わるべきである彼女の名前だけが今に伝わっていません。
- 甄豫(兄/しんどう)
- 甄儼(兄/しんげん)
- 甄堯(兄/しんぎょう)
- 甄姜(姉/しんきょう)
- 甄脱(姉/しんきょうorしんだつ)
- 甄道(姉/しんどう)
- 甄栄(姉/しんえい)
甄姫の名前は、この曹植の書いた「洛神賦」を参考にし、
甄宓や甄洛として今に伝わっています。
他の全員は名前が残ってるのに、袁煕の妻になり、
曹丕の妻になった甄姫だけが残ってないのは本当に意味不明です。
二代皇帝である曹叡の実母にも関わらず・・・
個人的には何か歴史から抹消しなければいけない理由があった気がしてなりません。