世の中の不思議な話と言いますか、とんでもないような話が詰め込まれたものに、

東晋の干宝が著した志怪小説である捜神記そうじんきというものがあります。

 

そんな捜神記には、三国志の人物も数多く登場していますが、

今回はそんな中から、孫策・孫権の誕生秘話について見ていこうと思います。

 

また二人の父親である孫堅の誕生秘話が、

「呉志」孫堅伝(裴松之注釈「呉書」)に残されていますので、折角なので合わせて紹介します。

孫堅の誕生秘話

この逸話は「呉志」孫堅伝(裴松之注釈「呉書」)に残されている孫堅誕生の逸話であり、

孫堅の母親が孫堅を身籠った時に、次のような夢を見た時のものになります。

 

夢の内容は「お腹から腸が飛び出して、

その腸が呉(蘇州)の門に巻き付いた」というものでした。

 

ただ孫堅の母親は、夢の内容が不吉な夢ではないかと心配になり、

隣に住んでいたおばさんの元を訪れて夢の事を語ります。

 

 

その話を聞いた隣のおばさんは、

「それは不吉な夢ではなく、良い夢だから心配する必要はないよ。」

と返し、それを聞いた孫堅の母親は安心したといいます。

 

ただ素朴な疑問として、隣のおばさんは何をもって、

それが良い夢だと判断できたのでしょうかね。

孫堅 -「江東の虎」と呼ばれた孫策・孫権の父親-

孫策・孫権の誕生秘話

孫堅の妻であった呉夫人は、

孫策を身籠ると「月がお腹に入ってきた夢」を、

 

次に孫権を身籠った時には、

「太陽がお腹に入ってきた夢」を見たといいます。

 

この事を孫堅に伝えると、孫堅は次のように言って喜んだそうです。

「太陽と月は陰陽を表すもので、非常に尊いものである。

私達の子孫が栄えるというお告げであろう。」

 

孫策 -江東制覇を成し遂げた小覇王-

「捜神記」孫策の他逸話

横山光輝三国志(19巻169P)より画像引用

 

于吉うきつが民衆の心を深く掴んでいたのを知り、

それを不快に思った孫策は、于吉を一方的に殺害してしまいます。

 

しかし殺したはずの于吉の遺体はその後に消えてしまい、

それからの孫策は于吉の幻を見るようになったといいます。

 

 

そして最終的には、鏡に于吉が見えた事に対して絶叫し、

それによって傷口が大きく広がってしまい、孫策は亡くなってしまうのでした。

 

子の逸話は「三国志演義」にも採用されている逸話でもありますが、

もともとは「捜神記」の逸話だったわけですね。

「捜神記」孫権の他逸話

建安の方山に住んでいた介琰かいえんという仙人がいましたが、

時には姿を消し、時には子供や老人に化ける事ができたといいます。

 

孫権はその術を教えて欲しいと介琰に嘆願していますが、

孫権には多くの妻や妾がいたことが、術を学ぶ上で障害になると考えた介琰は、

その事を理由として、孫権に教えることはなかったのでした。

 

これに激怒したのが孫権で、介琰を縛った上で矢で射殺してしまいます。

しかし射殺したはずの介琰は、縄だけを残してその場から消えてしまったのでした。

 

 

そしてここで紹介した孫策や孫権以外にも、

三国志に登場する人物が「捜神記」に他にも多く登場しています。

 

絶対にありえないだろうという話も多いですが、

孫策と于吉のように三国志演義の元ネタになったような話もあります。

 

面白い話も多いので、興味ある方は一度は読んでみるといいかもしれませんね。

正史や三国志演義とまた違った面白さがあるかと思います。

 

天下三分の一端を担った孫権(仲謀)