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華佗の高弟 -呉普と樊阿-
後漢末を代表する名医・華佗には、多くの弟子がいましたが、その中でも特に名高いのが呉普と樊阿です。
二人とも華佗から医学を学び、それぞれ異なる分野で大きな功績を残しました。
呉普は薬物学の発展に貢献し、樊阿は鍼灸術の名手として知られています。
華佗自身の名声に比べると二人が語られる機会は多くありませんが、
中国医学史においては、華佗の医術と思想を後世へ伝えた最も重要な継承者であったと言えるでしょう。
呉普 -薬物学を発展させた華佗の高弟-

呉普は広陵郡の出身で、華佗から医学を学んだ弟子の一人です。
『三国志』華佗伝によれば、華佗から医術だけでなく健康法も伝授され、その教えを忠実に実践した人物として知られています。
呉普の最大の功績は、薬物学書『呉普本草』を著したことです。
当時、中国では薬草や鉱物・動物性生薬に関する知識が急速に発展しており、それらを体系的にまとめた書物が「本草書」と呼ばれていました。
代表的なものとして、
- 『神農本草経』
- 『呉普本草』
- 『桐君採薬録』(散逸)
- 『李氏薬録』(散逸)
などが知られています。
『神農本草経』が薬物の基本的な効能をまとめた古典であるのに対し、
『呉普本草』では、
- 薬物の別名
- 産地
- 採取時期
- 加工方法
- 使用法
- 地域による名称の違い
などが詳しく整理され、薬物学の実用性を大きく高めました。
地域によって同じ薬草でも名称が異なることが多かったため、呉普は名称の整理・統一にも力を注いだと考えられています。
『呉普本草』は全六巻・441種の薬物を収録していたと伝えられます。
現在は散逸していますが、『太平御覧』や『証類本草』など後世の本草書に多数引用されているため、その内容の多くを知ることができます。
そんな「呉普本草」ですが、北宋時代に散逸してしまったといいます。
ちなみに『太平御覧』には、『呉普本草』の441種のうち、191種が引用されています。
なお、『呉普本草』の成立年代は明確ではありません。
一般には三国時代後期から西晋初期頃の成立(240年前後?)と考えられていますが、確定しているわけではありません。
華佗から伝えられた健康法「五禽戯」

「魏志」華佗伝には、華佗が呉普へ健康法を説いた逸話が記されています。
華佗は次のように語りました。
人は適度に身体を動かすべきである。しかし疲れ果てるほど働いてはならない。
身体を動かせば血流が良くなり、飲食も進み、病気の予防につながる。
そして、体調が優れない時には動物の動きを真似た運動を行い、軽く汗を流すよう勧めました。
これが華佗考案の健康法「五禽戯(ごきんぎ)」です。
五禽戯は、
- 虎
- 鹿
- 熊
- 猿
- 鳥
五種類の動物の動きを模した導引術(健康体操)であり、
身体全体を動かして気血の巡りを整えることを目的としていました。
これは現在の気功や養生法の源流の一つとも考えられています。
そんな華佗が編み出した「五禽戯」は現在まで伝わっており、今でも実践している人も多いようです。
樊阿 -鍼灸の名人-
呉普の長寿
呉普は華佗の教えを生涯実践したと伝えられています。
「魏志」華佗伝には、「年九十余、耳目聡明、歯牙完堅。(年90余にして、耳目聡明、歯牙完堅たり。)」と記されています。
これは、「九十歳を過ぎても耳はよく聞こえ、目はよく見え、歯も一本も欠けていなかった」という意味です。
さらに百歳を超えて長寿を全うしたとも伝えられています。
もちろん当時の年齢には誇張が含まれる可能性もありますが、
華佗の健康法を体現した人物として高く評価されていたことは確かでしょう。
樊阿 -鍼灸術の名人-

樊阿は彭城郡の出身で、華佗の弟子の一人です。
「魏志」華佗伝では、特に鍼灸術に優れていたことが記されています。
当時の医学では、胸部や腹部への深い刺鍼は内臓を傷つける危険があるため、極めて慎重に行われていました。
しかし樊阿は人体構造を熟知しており、
通常では危険とされた部位でも正確な深さで鍼を施すことができたといいます。
| この時代の考えとして、胸と背中の間には大事な臓器が沢山あり、
基本的にそのあたりには鍼をするものではなく、
もし鍼をする必要があった場合も、「四分の深さ(約1.2cm)を絶対に越えてはいけない」とされていました。 |
華佗伝には、
- 背部の経穴(「背兪穴」という重要な経穴が沢山ある所)では一~二寸(約3cm〜6cm)
- 巨闕穴(みぞおちの中心付近)では五~六寸(約15cm〜18cm)
まで刺鍼できたと記されています。
現代の感覚では非常に深い刺鍼に見えますが、
古代の「寸」は人体比例による長さであり、現代のセンチメートルと単純比較はできません。
また、この記述には樊阿の卓越した技術を称える意味も含まれていると考えられています。
樊阿は鍼と灸を適切に組み合わせ、多くの患者を治療した名医として知られています。
華佗から授けられた「漆葉青黏散」

ある日、樊阿は華佗に
「健康を保つための良い薬を教えていただきたい」と願い出ました。
そこで華佗が伝授したのが「漆葉青黏散(しつようせいねんさん)」です。
「魏志」華佗伝には、
- 漆葉一升
- 青黏十四両
を調合して服用するよう記されています。
青黏とは薬草の一種と考えられていますが、現在では正確な植物種は明らかになっていません。
華佗は、この薬について
- 腸内の寄生虫を除く
- 五臓六腑の働きを整える
- 身体を丈夫にする
と説明したとされています。
さらに、「長く服用すれば老人になっても白髪になりにくい」とも伝えています。
もっとも、これらは当時の医学思想による記述であり、現代医学によって効果が証明されているわけではありません。


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