張角が起こした黄巾の乱は、

漢帝国衰退への道を加速させたのですが、

 

ここでは張角を支えた二人の弟ついて見ていきたいと思います。

 

「天・地・人」でも有名ですが、張三兄弟の次男・三男の二人ですね。

  • 天公将軍の張角
  • 地公将軍の張宝
  • 人公将軍の張梁

黄巾の乱の首謀者であり、三国時代の扉を開けた張角

張宝(ちょうほう)

横山光輝三国志(1巻58P)より画像引用

 

張三兄弟の次男にあたるのが張宝になります。

 

184年2月に洛陽襲撃計画が漏洩すると、

張角は後漢からの討伐の手が伸びるのを恐れてすかさず蜂起したんですが、

 

その時に張角を支えたのが張宝・張梁の二人の弟でした。

 

 

張角は蜂起したまではよかったものの既に体調を崩しており、

まともに指揮ができないこともありました。

 

そこで張角に代わって、張宝が指揮をとっていたこともあったようです。

 

 

張角の黄巾の乱は、漢王朝に不満を持つ民衆らが次々に参加したことで、

爆発的に大規模なものとなっていきました。

 

物量的なこともあったでしょう。

そういうこともあって張角らは当初優位に展開していきました。

 

 

しかし皇甫嵩・朱儁・盧植など実力のある将軍に命じて、

 

本格的に黄巾賊討伐に乗り出すと、

張角らは次第に劣勢に追い込まれていく事になります。

 

 

そこで黄巾賊は広宗の城に立て籠もり

皇甫嵩らの攻撃から必死に防衛したようです。

 

しかしそんな最中に、もともと体調を崩していた張角が病死してしまいます。

 

これにより黄巾賊らの士気も低下することになるのですが、

三男であった張梁が兄の遺志を引き継いで必死に兵士を鼓舞して籠城を続けました。

 

しかし張梁の奮闘むなしく、この戦いの中で張梁が討死!

 

 

この時張角の遺体は棺に納められていたのですが、

皇甫嵩らに棺に納められていた張角の遺体から首を切り取られて洛陽へ送ったようです。

 

そして張角の首は、洛陽の木に吊るされて見せしめとされたと言われています。

 

 

残された次男の張宝ですが、

下曲陽の城で籠城して皇甫嵩を迎え撃ちます。

 

しかし張宝の奮闘むなしく、

皇甫嵩によってフルボッコされてしまったわけです。

 

これにより張三兄弟で最後まで残っていた張宝が討ち取られた事で、

表面上黄巾の乱は終焉を迎えたのです。

 

 

ただ張三兄弟による黄巾の乱は終わりを迎えたものの、

 

各地に残る黄巾賊の残党による反乱は、

これからも長く続くことになったのは忘れてはいけない事ですね。

三国志演義での張宝の描写

三国志演義での張宝は、妖術使いとして描かれています。

 

張宝は城に篭城しながら妖術を駆使して漢軍を何度も撃退しています。

 

 

しかし最終的に朱儁の計略によって破られて苦境に陥ると、

張宝の部下であった厳政は、張宝を裏切って殺害!

 

張宝の首を持って、厳政はさっさと朱儁らに降伏しています。

 

ちなみにこの厳政という人物ですが、三国志演義だけに登場する人物になりますね。

 

 

横山光輝三国志(2巻199P)より画像引用

 

また「横山光輝三国志」での劉備は、

張宝の妖術を見破り、張宝を討ち取ったことになっていますね。

 

ここは三国志演義の描写(厳政の裏切りにより張宝死亡)と異なっているところです。

張梁(ちょうりょう)

張兄弟の三男にあたるのが張梁であり、

兄の張宝と共に張角を支えた人物の一人になります。

 

 

張角・張宝・張梁らは最初こそ優勢だったものの、

 

後漢が皇甫嵩・朱儁・盧植などを起用し、

本気を出して討伐に乗り出すと次第に追い詰められていっています。

 

張梁は張角と共に広宗の城で籠城して、皇甫嵩らの攻撃に耐えていたものの、

そんな中で兄の張角が病死してしまうという事態に・・・

 

 

張梁は張角の遺体を棺に納め、

その後も張角の兵士を引き継いで、皇甫嵩らに徹底的に抵抗するわけですが、

 

その奮闘空しく、張梁は普通に討ち取られてしまいます。

 

 

そして張三兄弟で最後に残された張宝ですが、

 

下曲陽の城で籠城するものの、

皇甫嵩に攻め込まれて討ち取られてしまうのでした。

 

とりあえず張梁の記載は張宝との記載とほとんど同じです。

 

 

まぁ時系列的に同じような流れでの記載なので仕方ないですが、

三兄弟のうちで一番記録が残っていないのがこの張梁なんですよね。

三国志演義での張梁の描写

三国志演義での張梁は、

張角亡き後も張宝と共に漢軍との戦いを継続させますが、

 

曹操に火攻めを受けた事で敗走してしまいます。

 

敗走した張梁は、その後も漢軍に対して徹底的に抗戦するものの、

最終的には奇襲をかけられた形で討死しています。

 

横山光輝三国志(2巻206 P)より画像引用

 

 

ちなみにこの時の曹操による火計ですが、

「横山光輝三国志」では劉備が見事な火計により打ち破ったことになっていますね。

 

そして戦場で劉備と出会った曹操は、

劉備の火計を「見事だ!」と褒えるといった描写がされています。

横山光輝三国志(2巻121P)より画像引用

 

 

曹操と劉備が初めてあったのもこの時でした。

 

「横山光輝三国志」では、劉備のデビュー戦である黄巾の乱に力を入れ、

劉備に大活躍させるという感じにしたのでしょう。

 

そして将来三国時代を成立させた二人の英雄を、

三国時代の幕開けになった黄巾の乱で出会わせたのだと思いますね。