蜀で有名な占い師(予言者)と言えば、

夢占いで有名な趙直名があがったりしますが、

 

他にも今回紹介する周羣であったり、

周羣のライバル的存在にあげられたりする張裕がいたりします。

 

 

このあたりの占い師(予言者)と比較すれば、

 

蜀滅亡前に劉禅に告げた占い師の方が知名度こそ断然に高かったりしますが、

実力と実績は比較にならないほどの差がありましたね。

魏延・蒋琬・何祗の夢占いを的中させた趙直

周舒 -周羣(しゅうぐん)の父-

周羣は父親である周舒しゅうじょ

図讖としんの術」を教わったのがきっかけとなって、

占いの道へと足を踏み入れていきます。

 

 

ちなみに周舒の「図讖の術」は、

広漢郡に住んでいた楊厚から学んだものであったりするわけですが・・・

 

「図讖の術」讖緯しんい思想とも呼ばれたりするものですけど、

簡単に言ってしまえば予言や占いの方法ということです。

 

無駄に難しい表現をしているだけということになりますね。

 

 

 

周舒の占いとして有名というか、

現在に伝わってるのは次の予言だけなんですが、

 

後漢時代末期に流行した

「漢に代わる者は当塗高」という言葉があるのですが、

 

ある時にその意味を聞かれたことがあったそうです。

 

 

周舒は「当塗高とは魏である」と述べたのですが、

 

つまりそれは、

「漢王朝が終わって魏王朝ができる」

ということを意味したということですね。

 

 

まぁ「当塗高が何故魏なのか!?」ということですが、

これにはきちんと理由があったりするんですが、

 

周羣の父親に関してはまたの機会に触れるとして、

次からは周羣の占いや予言について見ていきたいと思います。

頭角を現した周羣

父親から「図讖の術」を学んだ周羣は、

 

自庭にわざわざを作って、

召使いに昼夜交代で、天空を観察させ続けたといいます。

 

 

そして天空に少しでも異変があるようなら、

すぐに周羣に知らせるように言っていたそうです。

 

そして知らせを聞いた周羣は、

必ず自分の目で確認してから占ったといいます。

 

 

とにかく周羣の占いは非常に良くあたり、

周羣の名は次第に伝わっていくことになります。

 

そして益州牧であった劉璋の耳にまで届くと、

劉璋から直々にお呼びがかかるようになるまでに・・・

漢中攻略戦の占い

劉璋に代わって劉備が益州を手中に収めると、

周羣を儒林校尉に任じています。

 

そして周羣の予言が見事に的中するのが、

漢中攻略戦だったのです。

 

 

劉備は漢中攻略に乗り出す前に周羣に占ってもらうのですが、

その占いは次のようなものでした。

 

「漢中の地を手に入れる事は可能ですが、

漢中の住民を手中に収めることは不可能でしょう。

 

また戦いに際して一部隊のみを出すようなら、

必ず負けてしまうので、

 

そこは慎重に対応してくださいませ!!」

 

 

 

劉備は周羣の予言を無視して一部隊を出したりするんですが、

完璧なまでの的中を見せたのでした。

 

 

呉蘭・雷銅の二人に命じて武都を攻めさせ、

 

曹洪・曹休は氐族の強端と手を結んだことで、

呉蘭・雷銅は討ち取られて全滅しています。

 

 

最終的に夏侯淵を討ち取って、

見事に漢中を手に入れたのですが、

 

事前に張既の進言によって、

漢中の十万人の民衆は長安付近に移された後だったこともあり、

 

劉備は漢中の民衆を手に入れることはできなかったのでした。

雍州・涼州で曹操・曹丕の期待に応え続けた張既(ちょうき)

漢中争奪戦での張裕の占い&その後の周羣

周羣の占いと良く比較されるのが張裕の占いでしょう。

 

 

張裕は周羣以上の才能があったとまで言われていた人物ですが、

 

「曹操と漢中を争ってはいけない!

もし争うことあれば、絶対に負けるでしょう!!」

と占ったのでした。

 

 

 

まさに周羣の予想とは真逆ともいえる占いだったわけで・・・

 

 

結果は周羣の占いが見事に的中したのに対し、

張裕の占いは普通に外れたことで処刑されてしまいます。

 

まぁ処刑された理由は、それだけのことではないのですが、

処刑の決め手になったのが漢中争奪戦での占いだったのです。

 

 

 

ちなみにですが、周羣は漢中攻略戦での占いが的中したことで、

茂才に推挙されていますが、

 

その後の周羣がとうなったのかなどは伝わっていません。

 

 

ただ周羣が亡くなると、

息子の周巨が「図讖の術」を受け継いだとあるだけです。

才能を持った占い師×不遇の最後を迎えた張裕

その他の周羣の占い①

202年に越巂郡で、

男性が女性に変わることがありました。

 

 

とりま性転換手術でもしたのかな(笑)!?

それとも女性の格好でも・・・

 

まぁそこを突っ込んでしまうと話が進まないのでスルーして進めると、

男性が女性に変わった理由を周羣に尋ねられたことがありました。

 

これに対して周羣は、

「前漢13代皇帝哀帝(劉欣)の時代にも、

同じ事が報告されており、

 

王朝が代わる兆しが出ているのです」と答えます。

 

つまり周羣は漢王朝が滅んで、

「新しい王朝が出来る!」と言っているわけですね。

 

 

実際それから18年後に、

漢王朝が滅んで魏王朝ができたのでした。

その他の周羣の占い②

赤壁の戦いが起こる前年(207年)に、

ほうき星が鶉尾じゅんびに出現することがあったといいます。

 

 

ちなみに「鶉尾」とは、当時の天球分割法の一つで、

天を西から東に十二等分した中の一つの呼び名になります。

  • 星紀(せいき)
  • 玄枵(げんきょう)
  • 娵訾(しゅし)
  • 降婁(こうろう)
  • 大梁(たいりょう)
  • 実沈(じっちん)
  • 鶉首(じゅんしゅ)
  • 鶉火(じゅんか)
  • 鶉尾(じゅんび)
  • 寿星(じゅせい)
  • 大火(たいか)
  • 析木(せきぼく)

 

 

これを見た周羣は劉表の死を予言し、

それから間もなくして劉表は病死したのでした。

 

 

 

また212年には、

彗星が五諸侯(五つ星)から出現するのを見た際には、

 

「現在西方に領地を持っている群雄は、

全て領地を失ってしまうだろう」と予言!!

 

 

そして周羣の予言通り、劉璋は劉備に領地を奪われ、

涼州の韓遂漢中の張魯は曹操に敗れたのでした。

 

 

少しマニアックな人物も合わせると、

北宮玉や宋建も領地を失った群雄だったりもします。

 

他には劉雄鳴も一応・・・

神人から老爺に堕ちてしまった劉雄鳴