潘淑(はん しゅく)

潘淑会稽郡出身の人物ですが、

孫権の側室になったというだけでなく、

 

二代皇帝となった孫亮の母親を産んだ女性でもあります。

 

 

そんな潘淑ですが、

もともとは貧しく身分が低い家の娘でした。

 

 

またそれだけでなく、

潘淑の父親が罪を犯して処刑されたことで、

 

連座の罪から潘淑と姉は、

奴婢に身分を落とされることに・・・

 

 

 

潘淑は織室へとぶち込まれますが、

 

かなりの強運の持ち主であったのか、

孫権から気に入られ孫権の側室に・・・

 

 

そして二人の間に芽生えた命が、

孫亮だったのです。

 

 

 

ちなみに余談ですが、孫亮を身ごもった際には、

龍の頭を誰かから受け取った夢をみたといいます。

二宮の変×決着×「皇后」の位

皇太子であった孫登が死んでしまうと、

孫権は次第に耄碌もうろくしていきます。

 

 

孫権は孫和を太子にしつつ、

孫覇を太子である孫和と同じ待遇を取ったことで、

 

孫和派と孫覇派で対立することに・・・

 

 

 

最終的に孫権が下した判断は、

 

孫和を廃嫡し、

孫覇に死を命じるというものでした。

 

 

 

孫登・孫和・孫覇と後継者候補が立て続けに亡くなったことで、

 

まだまだ幼かった孫亮が、

跡継ぎ候補として皇太子に任じられることになります。

 

 

息子が皇太子になったことで、

普通に調子に乗ったのが潘淑になります。

 

 

そこで潘淑は、

「織室から姉を救うタイミングはここだ!」

と考え、孫権に直談判!

 

これに対して孫権が断るわけもなく・・

 

 

そして孫権から潘淑は、

孫権から皇后の位をもらい受けています。

 

 

ちなみにですが皇帝であった孫権と皇后であった潘淑の年齢差は、

 

その後の王朝も含めて中国歴代皇帝の中で、

最も年齢差が離れていた者達だったといわれていますね。

 

 

歩夫人が死んでから皇后が追号されたりはありましたが、

 

孫権によって生前に皇后に任じられた女性は、

この潘淑が最初であって最後でもありますね。

性格ブス

潘淑は美貌に優れた女性であったようですが、

 

性格はというと

かなりのブスだったといいます。

 

 

その最たる例が袁夫人に対する中傷でしょう。

 

ただ袁夫人だけに留まらず、

宮中内の多くの者達へ中傷していました。

 

その為に潘淑への恨みを抱いていた女性は多かったようです。

密かに殺害された皇后

潘淑は皇后ではあったものの、

宮中内で多くの者達から恨みを買っていました。

 

そんな折に孫権が病に倒れ、

それを潘淑は必死に看病したといいます。

 

同時にまだ幼かった孫亮を補佐すべく、

劉邦亡き後の恐怖政治を行った呂后について尋ねることもあったそうです。

 

 

おそらく孫権が亡くなった場合、

「まだまだ幼かった孫亮に代わって、

政治を行わねば・・・」

みたいな気持ちもあったのでしょう。

 

 

 

しかしそんな潘淑ですが、

孫権の看病により心身共にガタがきてしまいます。

 

潘淑に恨みを抱いていた者達は、

 

「ここぞ!」といわんばかりに、

首を絞めて殺害!!

 

まさかの孫権より早い早世だったわけです。

 

 

後に潘淑が殺害されたということが判明すると、

殺害に関わったとされる者達は捕らえられて処刑!

 

そして病の中にあった孫権も、潘淑の後を追うように・・・

 

 

孫権が亡くなると、潘淑は孫権と蔣陵へ合葬されています。

 

 

ちなみに三国志演義での潘淑も、

ほとんどの部分が正史通りの設定で登場していますね。

天下三分の一端を担った孫権(仲謀)