孫堅の死にまつわる裏事情(起)
孫堅は反董卓連合の一員として董卓打倒に参加した孫堅ですが、
董卓軍の徐栄に敗れるものの、その後に軍勢を立て直して胡軫・呂布・華雄らの撃破に成功します。
そして孫堅はその勢いのままに洛陽へ入城に成功しています。
ただこの時の洛陽は既に董卓が長安へと遷都していた後であり、焼き払われていたわけです。
ほとんどが孫堅の活躍によって洛陽奪取に成功した反董卓連合は、
自然と瓦解していくこととなります。
そんな中で袁紹と袁術の対立が激化していきます。
孫堅は袁術の配下的な立ち位置でもあったことで、
半ばそそのかされる形で劉表が治める荊州へと攻め込んだわけです。
ただこの戦いで孫堅は黄祖の軍勢と戦う中で命を落とすこととなります。
まずは袁術にそそのかされる形で荊州攻めを決行した孫堅ですが、
まずはそこに至るまでの背景を見ていきたいと思います。
時は反董卓連合が結成された時に遡ることになりますが、
その当時に荊州刺史を任されていたのは王叡でした。
王叡は孫堅の素性が定かではない事を理由に軽んじていた事もあったようですが、
武陵太守の曹寅との関係が良くなかった事もあり、孫堅を利用して曹寅殺害を計画します。
しかしこの情報が洩れ、不運にも殺害計画の相手でもある曹寅の耳に届くことになるわけですが、
ここで曹寅は偽の檄文を偽造して、あべこべに王叡殺害を考えたわけです。
つまりやられる前にやってしまえという事です。
この王叡の考えを知った曹寅が、
孫堅に朝廷からの偽の檄文を送って、王叡を逆に倒そうとします。
王叡も王叡なら、曹寅も曹寅もって感じですね(笑)
朝廷からの偽の檄文を送るって事自体が、
そもそもばれたらやばそうですが、
この時代はとにかく政治が腐敗していて、
色々とやりたい放題だったのでこれがまかり通っていました。
この檄文を見た孫堅は、
まんまと騙された形で、王叡を攻め立てます。
王叡からすると何故に孫堅から攻撃されるのか意味不明な状態です。
最終的に王叡は意味も分からないまま自害して果てます。
孫堅の死にまつわる裏事情(承)
荊州刺史だった王叡が自害した事により、
荊州刺史が空席となります。
この時代、自分の息のかかった者を勝手に任命するといった事が、
当たり前に起きていた時代でした。
荊州刺史が空席になったという事を知った袁紹が、
すかさず自分の息のかかった劉表を荊州刺史に任命します。
逆に荊州への進出を考えていた袁術は、
袁紹の息のかかった劉表が任命される事で、存在が邪魔になります。
何故なら袁紹と袁術は兄弟であったにも関わらず、
犬猿の仲だったのです。
そこで袁術は、自分の息のかかった孫堅に対して、
「王叡を倒したのは孫堅殿なのに・・・」といって、
暗黙の内に劉表を孫堅に討たせるように仕向けていきます。
孫堅の死にまつわる裏事情(転)
反董卓連合として洛陽を攻めていた孫堅でしたが、
洛陽入城を果たし、反董卓連合が空中分解し始めたので、洛陽から引き揚げます。
その後、そのまま劉表討伐に向かうこととします。
孫堅が攻めてきたことに驚いた劉表は、
黄祖に孫堅を迎え撃たせます。
孫堅の相手ではないと思われた黄祖でしたが、
最終的には黄祖軍の兵が放った矢が不幸にも孫堅に的中し、
命を落とすことになります。
孫堅の死にまつわる裏事情(末)
孫堅の息子である孫策と孫堅の家臣達は、
その後、袁術の元で世話をされることになります。
袁術にうまく使われるといった形が正解かもしれません。
とにもかくにも赴任して間もない劉表は、
なんとか荊州刺史を守り抜く事ができたのです。
もしここで孫堅が黄祖を打ち破っていれば、孫堅が荊州刺史になっていたと思います。
その後もし孫堅が生きていれば、
大きく飛躍できる力を持っていただけに残念な最後でした。
今回は孫堅の死の裏側にあった、
袁紹と袁術の兄弟争いついて掘り下げてみました。