董卓の名前が色んな意味で大きすぎて、

完全に影に潜めたような存在になっていますが、

 

董卓を影ながら支えた董旻(とうびん)という弟が董卓にはおり、

今回はその董旻の生涯について見ていきます。

董旻(とうびん)

董旻は董卓の弟にあたり、董君雅とうくんがの末子(三男)になります。

 

董君雅はしがない役人の一人でしたが、

後に「頴川郡綸氏の尉」となった人物でもあります。

 

 

董君雅には董卓・董旻以外に董擢とうてきという息子がいましたが、

早くにこの世を去ってしまったそうです。

 

そして次男坊であった董卓が台頭してきますが、

そんな兄の董卓を陰ながら支えた一人が弟の董旻でした。

何苗殺害に加担

大将軍であった何進が宦官殺害を計画すると、

あべこべに逆に罠にはめられて殺害されてしまう事件が勃発します。

 

何進殺害によって配下であった袁紹・袁術らが激怒。

宮中に乗り込んで、何進殺害の仕返しとして宦官数千名を殺害してしまいます。

 

この時に袁紹・袁術らと組んで宦官殺害に加担した一人が、

同じく何進に仕えていた董旻でした。

 

 

また董旻は呉匡と組んで、宦官の中心的な宦官であった「十常侍」と裏で繋がり、

何進殺害の一端を担ったという容疑をかけて何苗かびょうを殺害!

 

ちなみに何苗とは、何進と血のつながりがあるわけでなく(義理の兄)、

もともと何進と共に動物を殺してそれを売るといった事を生業にしていたようです。

 

 

しかし、何進の妹が何皇后として霊帝の妻になると、

何進だけでなく、何苗も採り立てられることとなりました。

 

何進と宦官の対立が激しくなってくると、

何皇后と何苗は何進より宦官を擁護するような態度を示します。

 

 

何進が殺された事で、董旻・呉匡の怒りを完全に買った形だったわけです。

董卓の洛陽入場

蒼天航路(5巻74P)より画像引用

 

董卓は、少帝(劉弁)・献帝(劉協)を連れて逃げていた十常侍を捕らえて殺害し、

二人を取り戻した董卓は、堂々とした様子で洛陽へ入場します。

 

この時に董卓を手引きしたのが董旻だとも言われています。

 

 

ここから董旻は、兄である董卓を完全にサポートし、

 

何苗を共に殺害した呉匡が邪魔になったことで追い出したりと、

董卓に権力が集中するように行動した結果、宮中を掌握することに成功したわけです。

 

ちなみにですけど、この呉匡という人物は、

呉懿・呉氏(穆皇后)の叔父にあたり、呉班の実の父親になりますね。

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董卓の長安遷都

董卓が宮中を掌握すると、

袁紹を盟主とした反董卓連合が結成されます。

 

 

そこで董卓は後漢の都であった洛陽から長安への遷都を実行。

 

この時、後漢歴代の皇帝の墓の財宝を暴いたり、

裕福な民衆の財産を没収したりとやりたい放題する始末でした。

 

しかし董旻は董卓の考えを尊重し、兄から命じられたことを着実に実行していきます。

その功績から董旻は左将軍に任命されることとなりました。

 

 

ちなみにこの左将軍とは三国志演義で語られる蜀の「五虎大将軍」において、

 

関羽・張飛・黄忠・馬超・趙雲が任命されたわけですが、

馬超が実際に任じられていたのが左将軍でした。

※「五虎大将軍」という名称は正史には登場しません。

 

そう考えると董旻が、

立派な役職に任じられたことが少しは分かりやすいかなと思います。

董一族の大抜擢

その後、反董卓連合が自然消滅をすると、

董卓の威勢に逆らえる者がおらず、董卓は更につけあがっていきます。

 

そして董卓の身内を次々に大抜擢。

 

 

例えば董卓の長男であった董擢の子の董璜とうこう

侍中・中軍校尉に採り立てて、軍を統率させていますし、

 

当時15歳にも満たなかった女性の董白とうはくを、渭陽君に封ぜて領地を与えたりしています。

 

これにより、董卓だけでなく、

董一族へ権力が更に集中していく事となったわけです。

董卓 -三国乱世を加速させた暴君-

董一族の滅亡

董卓の威勢が天下にこだましていたものの、

董卓の暴政に反発する者達が多く点在していました。

 

そして王允もその一人で、

董卓配下の呂布を裏切らせて味方につけ、董卓殺害に成功!

 

 

これによって董卓のみではなく、

董旻をはじめ、董卓の一族は根こそぎ処刑されてしまいます。

 

侍中・中軍校尉に取り立てられた董璜や渭陽君に封ぜられた董白も処刑され、

またこの時、董卓の母も容赦なく処刑。

 

 

董卓の母は、既に90歳を超えていましたが、

董卓の連座の罪で普通に処刑されてしまったといいます。

 

栄華を極めた董卓&董一族でしたが、

董卓の死により全てが終わり、歴史の舞台から消えていったのです。