幼少の頃の鍾会(しょうかい) 鍾会は鍾繇しょうようの末子としてこの世に生を受け、 母親は、鍾会が立派な人物に成長してくれるように熱心に指導します。 その指導は、鍾会が4歳の時から半端ないものだったらしく、 […]
太史慈は「義」に薄く、親不孝者だった可能性が高い!?
正史での太史慈の経歴 若かりし頃の太史慈といえば、母親の面倒を見てくれていた孔融が、 黄巾賊残党の管亥かんがいに襲われて危機に陥った時に、 太史慈は孔融を救うべく、 相手を罠にかけ城を脱出して劉備へ援軍へ赴 […]
華佗の二人の弟子(呉普&樊阿)
「神医」と呼ばれた華佗には、二人の優れた弟子がいました。 一人は呉普ごふで、もう一人は樊阿はんあです。 華佗の陰に隠れ、あまり知られていない人物ではありますが、 今回はそんな二人について見てい […]
華佗の編み出した健康法「五禽戯(ごきんぎ)」
「神医」華佗 三国時代に「神医」と称された華佗かだという人物がいましたが、 陳寿が書いた三国志正史にも登場しており、 華佗の医術のレベルは、当時比べる者がいないと言われるほどに飛びぬけていました。 &nbs […]
「傷寒雑病論(著:張仲景)」を現在に伝えた王叔和
王叔和(王煕)と王粲 王叔和おうしゅくかは、正確には姓名を王煕、字あざなを叔和といいますが、 ここでは王煕ではなく、王叔和で呼ばせて頂きます。 王叔和は180年前後に生まれとされており、二十歳前半の頃には、 […]
張仲景(張機) -「傷寒雑病論」を著し、医術の道を貫いた医聖-
「三国時代の名医」といえば、華佗を思い浮かべる人が多いと思いますが、 華佗と同じく高い評価を受けた張機ちょうきという医者がいました。 日本では張機という名前より、張仲景ちょうちゅうけいという名 […]
「魏志倭人伝」から見た邪馬台国と卑弥呼
魏志倭人伝 日本には「万葉集」「日本書紀」という昔の歴史を知るためのものがあるけれども、 それより古い時代の日本について、 最も詳しく記載された初めての文献が「魏志倭人伝」なのです。 ここで一 […]
卑弥呼が「親魏倭王」の称号を頂いたのは、司馬懿のお陰!?
「魏志倭人伝」には、 難升米らは、魏皇帝(曹叡)に、 奴隷十人(男性の奴隷四人&女性の奴隷六人)と班布(綿布)二匹二丈を献上し、 ※一匹=四丈=約9.2mなので、二匹二丈は約23m。 魏皇帝(曹叡)はこれに […]
「後漢書東夷伝」から見た日本
後漢書東夷伝 昔の日本、つまり「倭」に関する事が記載されており、 有名な文献に「漢書地理志」「後漢書東夷伝」「魏志倭人伝」があります。 三国志の時代の頃の倭について記載されているのが、 「魏志倭人伝」になり […]
「漢書地理志」から見た日本
倭についての記載が残る文献 三国志の時代で有名なのは、 「魏志倭人伝」に記載された卑弥呼の魏への朝貢でしょう。 中国から見て、当時の日本は「倭」と呼ばれており、 卑弥呼は邪馬台国という国を治め、国内で勢力を […]