黄蓋 -赤壁の戦いでの勝利の立役者-

黄蓋

黄蓋(公覆) 黄蓋は零陵郡泉陵県の出身であり、郡の役人となり、孝廉に推挙されます。   ちなみに裴松之注「呉書」には、黄蓋は南陽太守であった黄子廉の後裔にあたり、 祖父の代に零陵郡に移り住んだことが書かれていま […]

「素寒貧」の語源になった石徳林

石徳林

石徳林(姓は石、諱は不明、字は徳林) 蒼天航路(30巻131P)より画像引用   石徳林は、名前から大体分かりますが、 諱(名)は今に伝わっておらず、字が徳林になりますね。   まぁ分かりやすく別例を […]

人並外れた記憶力の持ち主「王粲」

蔡邕 王粲

王粲(おうさん) 王粲は名門出身で、 曾祖父の王襲、祖父の王暢などは三公に任命されています。   王粲は、若い時から計算が得意で、 文章を書く才能に長けており、一度筆をとると即座に文章を完成させ、 それを手直し […]

建安七子の一人「劉楨」

劉楨

劉楨(りゅうてい) 劉楨は文才に非常に優れており、   「建安七子」の一人に数えられた人物で、 多くの作品を生み出しています。     そもそも建安七子とは何かというと、 献帝が治めた年号を […]

最後まで親孝行の道を貫いた徐庶

徐庶

徐庶(じょしょ) 徐庶は、もともと徐福という名前で、 単家(庶民の家)の子として生まれます。   若い時の徐庶は武芸に励み、 剣の遣い手という経歴の持ち主で・・・     そして徐庶は義侠心 […]

赤壁の戦い以後も、実は生きていた蔡瑁

蔡瑁

蔡瑁(さいぼう) 蔡瑁(さいぼう)は荊州の豪族で、 この当時の荊州は、豪族が強大な力を持っていました。   また蔡瑁は、豪壮な性格で、 自尊心が非常に強かったようです。   そこへ劉表が、 荊州刺史と […]

蜀の法律「蜀科」を作成した一人「伊籍」

伊籍

伊籍(いせき) 伊籍は、最初同郷であった劉表に仕えますが、 劉備が荊州へ落ち延びてくると、交流を盛んにしています。   劉表死後は、劉備に仕え、 入蜀を果たします。   劉備が益州を手に入れてからは、 […]

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