腐敗した王朝

漢帝国は劉邦が建てた前漢。

 

そして一時「漢」は一時途絶えてしまいますが、

劉秀(光武帝)が再建した後漢。

 

前漢と後漢を合わせて約400年続いた王朝を「漢」といいます。

 

 

後漢末期、外戚・宦官・官僚の権力争いで、

皇帝は傀儡化している状態でした。

 

また賄賂が横行し、

賄賂を贈った者だけが出世していき、

賄賂を贈らない者は無罪の罪で処罰されたりと完全に乱れていたという状態です。

 

そして弱い立場である民衆は、

多額の税を取りてられており、飢饉も起こったりと悲惨な状態でした。

黄巾の乱

 

腐敗した漢王朝に不満を持った者達の反乱が、

各地で起こり始めます。

 

その中で、漢王朝に最大のダメージを与えたのが、

張角率いる黄巾の乱で、

 

青州・徐州・幽州・冀州・兗州・豫洲・荊州・揚州の8州で起こった大規模なものでした。

張角

この黄巾の乱を起こした張角という人物は、

太平道という宗教を広めていた人物で、

 

苦しめられていた民衆に広く受け入れられ、

信者はものすごい数になっていました。

 

 

そして信者をまとめて、

184年2月、漢王朝を倒すべく、開戦の狼煙を上げます。

 

彼らは黄色の頭巾を頭に巻いていたので、

黄巾の乱と呼ばれています。

スローガン

張角は、スローガンとして、

「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉」を掲げていました。

 

読みやすく直すると「蒼天すでに死す 黄天立つべし

歳、甲子にあり 天下大吉ならん」になります。

 

これは、

「漢王朝は既に死んでいる。我々太平道が今こそ立ち上がるべきだ。

今年は甲子の年になるので 天下は安らかに治まる」という意味になります。

計画の前倒し

張角はもともと184年3月5日に蜂起することを考えていましたが、

実際は184年2月に入って蜂起しています。

 

これには理由があって、

もともと張角の腹心であった馬元義(ばげんぎ)

後漢の首都である洛陽に忍び込ませていました。

 

そして3月5日に皇帝を抑え、

内外から漢王朝を滅ぼす作戦でしたが、

ここで張角にとって思いもよらぬことが起こります。

 

張角の配下の唐周(とうしゅう)によって、

皇帝直属の宦官に密告され、計画が漏れてしまいます。

結果忍び込ませていた馬元義は処刑されます。

 

 

計画が露呈した事を知った張角は、

当初の計画を前倒しにし、一斉蜂起に踏み切ったという流れです。

 

この時張角自身を「天公将軍」、

弟の張宝を「地公将軍「」、張梁を「人公将軍」と名乗っています。

官軍の反撃

黄巾賊の勢いはすさまじく、首都洛陽まで迫ってきます。

 

これに慌てた後漢側は、

盧植(ろしょく・)皇甫嵩(こうほすう)・朱儁(しゅしゅん)を将軍に任命し、

黄巾賊にあたらせることにしました。

 

この3人の力もあって、後漢軍は劣勢をはねのけていきます。

結果、盧植は張角を追い込み、皇甫嵩・朱儁らも各地の黄巾賊を殲滅していきます。

黄巾の鎮圧

 

張角を追い込んでいた盧植ですが、

賄賂を贈らなかったという理由でこのタイミングで罷免されてしまいます。

 

盧植の交代として送られてきたのが董卓です。

ですが董卓は、普通に負けてしまいます。

この敗北という結果を受けて、董卓もあっさりと罷免されます。

 

 

董卓が罷免された後を継いだ皇甫嵩は、張梁を討ち取り、

その間際に病死していた張角の棺を暴いて首を斬り落とし、

その勢いのまま、張宝を討ち取りました。

 

張角・張宝・張梁の三兄弟を失った黄巾の乱は、

三人の死を持って、終焉を迎えます。

各地で反乱が勃発

 

黄巾の乱は、三兄弟の死によって終焉を迎えていますが、

黄巾の残党達は各地に沢山いました。

また黄巾の乱に刺激を受け、各地で反乱を相次いぎます。

 

184年には西涼地域で、辺章と韓遂らが反乱を起こし、

先零羌(せんれいきょう)が辺章・韓遂に呼応する形で反乱を起こしています。

 

また185年には、

黄巾残党である張牛角と張燕(ちょうえん)が、反乱を起こしていますし、

186年には、江夏で趙慈が反乱を起こしています。

 

翌年の187年には、長沙で区星(おうせい)が反乱を起こし、

その区星に呼応する形で、周朝と郭石が反乱を起こしています。

長沙で反乱を起こした区星(おうせい)

 

して国内だけでなく、

北方民族である鮮卑や鳥丸も攻め込んでき、国境を脅かし始めます。

 

また張純(ちょうじゅん)張挙(ちょうきょ)は、

鳥丸と協力して反乱を起こしています。

実は知られていない袁術よりも早く皇帝を名乗った張挙(張純の乱)

 

黄巾の乱がおきた事によって、漢王朝の力は地に落ちてしまい、

各地で腐敗した漢王朝に不満を持つ者達の反乱が相次いでいったのです。