袁渙(えんかん)

袁渙は汚れなく立派な人物で、

冷静沈着な人物でした。

 

若い頃は、地方の役人として腕を振るい、

住民を苦しめる悪徳管理を排除する等、善政をしいています。

 

そんな折に、豫洲刺史となった劉備に見込まれ、

劉備に仕えることになります。

劉備・袁術・呂布と渡り歩く

その後、劉備の元を去り、袁術に仕える事になります。

袁術は袁渙を厚遇していますが、呂布との闘いの際に袁術が敗北し、

袁渙は捕らえられてしまいます。

 

仕方なく、その後呂布に仕える事となります。

袁渙と呂布

曹操に仕える事となった袁渙は、

呂布に劉備を罵った文章を書くように命令されます。

 

しかし袁渙が劉備の悪口を書く事はありませんでした。

そして命令した呂布に言い返します。

 

「かつて仕えた劉備の悪口を書けとおっしゃいますが、

もし将来あなたの元を離れる事になった際は、あなたの悪口を書く事になるのと同じことを、

あなたは仰っているのですよ」

 

袁渙は続けます。

「人を辱めるのは文章などではなく、徳によって決まるのです。

もしあなたの徳が高ければ、あなたと対立するものが自然と罵られるものです」

 

これを聞いた呂布は、恥じ入り、

劉備を罵った文章を書かせることをやめたようです。

曹操に仕える

 

曹操と呂布の戦いが勃発し、

呂布が殺されると、袁渙は曹操に仕えます。

 

その際に曹操は、

呂布から降伏した者達へ物資を分け与えています。

 

「好きなだけ持っていっていい」という曹操に対し、

袁渙は、書物数百巻と最低限の食料のみを受け取ります。

これを見た曹操は、袁渙を評価し、厚遇します。

 

そして曹操に仕えてからも、

任された場所で民衆の為の政治を行い、

曹操の国内安定に大きく貢献していきます。

 

袁渙がこの世を去ると、

曹操は涙を流して、袁渙の死を悲しんでます。

 

曹操が涙を流してまで家臣の死を悲しんだのは限られており、

そういう意味でも、袁渙は曹操から信頼されていた家臣であったのでしょう。

三国志演義での袁渙

正史でこれだけ曹操の評価を受けた袁渙が、

三国志演義でどのように描かれているかというと、

演義には全くもって登場していません。

 

だから袁渙を知ってる人は少ないかもしれませんが、

非常に優秀な人物であったのは間違いないかと思います。

 

もっと評価を受けていい人物の一人です。