文聘(仲業) -劉表・劉琮時代-
文聘は劉表に仕えていた人物で、
荊州北部の守備を劉表から任されていました。
劉表死後は劉琮に仕えることになりますが、
文聘の才能が開花するのは、残念ながら劉表・劉琮時代ではありませんでした。
なぜなら劉表が亡くなった直後に、曹操が荊州へと侵入してくるわけですが、
戦わずに劉琮は降伏してしまったからです。
この時に共に曹操の前に行く事をすすめられた文聘ですが、
「国を守れなかったのだから、
私に残されている道は罰を待つだけである!」
と言って頑なに拒否しています。
厚い忠義の心
なかなか屈することがなかった文聘ですが、
曹操が漢水を渡った際にようやく出頭することを決断します。
そんな文聘に対して曹操は、
「何故今頃になって出頭したのか!?」
と尋ねると、文聘は涙を流して次のように答えたといいます。
「荊州の守備を任されながらも、
何もできなかった自分を非常に情けなく思っていたからこそ、
すぐに出頭する気になれなかったのです。」 |
この言葉を聞いた曹操は、劉表・劉琮に対する忠義心に感嘆したといいます。
そして曹操は文聘の気持ちを尊重した上で迎え入れたのでした。
それだけではなく、曹操は降伏してきたばかりの文聘にも兵を授け、
曹純と共に劉備の追撃を命じています。
長坂の戦いと言えば、張飛の活躍が知られていたり、
趙雲の阿斗(劉備の息子/後の劉禅)を抱いたままの一騎駆けが有名だったりしますが、
曹純が率いていた虎豹騎についても、
もう少し光が当たってもいいかなと個人的には思ったりします。
一言でいえば、曹操軍の精鋭騎馬隊であり、
劉備の二人の娘を捕らえたりする実績もあげていたり・・・
他にも逃げる劉備より先に江陵へ到着して、劉備の江陵到着を邪魔したりしたのも
曹純率いる虎豹騎部隊ですからね。
江夏太守に任じられた文聘
曹操は勢いに任せて劉備を追い払い、荊州全土の制圧に成功します。
しかし孫権との国境に位置する江夏郡だけは、なかなか安定しなかったようです。
ただ孫権と決戦を控えていた曹操にとっては、
この江夏の地をうまくまとめあげてくれる人材が必要になるわけですが、
ここで白羽の矢が立ったのが、まだ降伏してきたばかりであった文聘だったのです。
文聘の忠誠心を知っていたからこその抜擢だったでしょう。
実際、江夏郡を任された文聘ですが、その後の孫権との戦いにとどまらず、
江夏を生涯にわたり守り抜く事に成功しています。
江夏の守護神
江夏の守備を任されながら月日が過ぎていった文聘ですが、
文聘が守る江夏に大きな危機が訪れます。
これは既に曹操が亡くなり、
初代皇帝であった曹丕が亡くなった時のことでした。
孫権はこれは江夏を奪う絶好の機会だと判断し、
自ら五万の兵を率いて江夏へ攻め込んできたわけです。
その際に孫権は、孫静の四男である孫奐(江夏太守)も引き連れて出陣しています。
しかし文聘の守る江夏の城を揺るがすことはできず、
孫権は一か月も待たずに、城の包囲を解いて撤退を開始しています。
もちろん文聘が守るだけで、孫権率いる大軍が撤退するわけもなりませんが、
曹叡が援軍として派遣した荀禹の助力(孫権の後方を撹乱)もあり、孫権が撤退を決断した感じですね。
撤退の際に殿を任せられたのは潘璋ですが、城から出撃してきた文聘に打ち破られています。
ただ朱然の活躍により、その後に文聘の追撃は止められているのは余談です。
この江夏侵攻戦が失敗してからも、
孫権は幾度となく江夏を攻略すべく攻め込んできたようですが、
文聘は死ぬまで江夏の地を守り抜き、孫権の侵攻を全て食い止めることに成功しています。
243年7月、曹芳は詔勅を下し、曹操の廟庭に功臣二十人を祀ったのですが、
その中には長らく江夏の地を守り通した文聘も含まれていたりします。
三国志演義での文聘
三国志演義での文聘は、
蔡瑁の企てた劉備暗殺計画に加担した一人として登場します。
また曹操の荊州侵攻に際して、
魏延が蔡瑁を追い払い、劉備を迎え入れようとする事があったりしますが、
劉備入場を邪魔したのも文聘でした。
曹操に降った後の文聘は、正史と同様に長坂の戦いで劉備を追撃しますが、
曹操に降伏した文聘の不忠を劉備に指摘され、
それを恥じ入ってそれ以上の追撃をせず撤退していたりします。
赤壁の戦いでは、水上戦で黄蓋によって矢で射られたり、
陸上戦では周泰・韓当によって蹴散らされたり・・・
それから時代が進んで曹丕の時代に、
徐盛の偽城の計によって、曹丕が大敗を喫した際には、
曹丕を背負って脱出した活躍が描かれていたりします。
この戦いは徐盛を際立たせた戦いであり、
赤壁の戦いに匹敵するほどの被害を受けた戦いとして描かれています。
文聘の評価
三国志正史を描いた陳寿は、
「文聘は州郡を守り抜き、威厳と恩恵を示した人物である!」
と称賛しています。
また西晋・東晋の歴史家である孫盛(302年~373年)は、
文聘と臧覇に対して次のように評価しています。
「忠孝の道は一つである。
臧覇は若くして孝行の道を尽くし、文聘は涙で誠実さを見せた。
その結果、曹操は二人に対して同じ態度をとって重要な任務を任せている。 単純に武勇に優れている者だけが、戦場の中で認められたわけではないのである。」 |
このように正史では忠義を貫き、
曹操の期待に見事なまでに応えた文聘ですが、
三国志演義で登場する文聘は、あくまで曹操側の立場としての人間なので、
色々と損な役回りを与えられている感じがありますね。
まぁ蔡瑁の劉備暗殺計画へ参加したり、
劉備の入場を邪魔したりと劉備の敵側の人間として登場しているから仕方ないでしょうけど、
その中でもきちん文聘の活躍も描かれているのは素敵なことだと思います。